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単純に、バカみたいに

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 みんな、どうしてしまったんだ、そんなにすごくならなくてもいいじゃないか、と思う。
 今日見たもののことを考えたり、しゃべったりしながら、普通に友だちとか家族とかと過ごそう。仕事はそこそこできて、失敗もして、たまには達成もして、それを自分の小さな誇りにしよう。見たくないものやしたくないことのためにつかう時間を減らそう。ただ漫然と生きているだけの時間を減らそう。でもしゃかりきに何ものかになろうとしたり、自分から発信したりなんかしなくていい、そんな疲れることはやめよう。ペースを落として、ひとつひとつの行動を寝る前に振り返ろう。一日健康でいられたことに、平和に、家族が生きていたことに普通に感謝しよう。
 「そんなこと言ったって、そんな単純なわけにはいかない、だって…」の言葉のあとにはいろいろな言い訳がくっついてくる。ひとりひとりがそれと戦おう。静かに、心を澄ませて。
 自分の時間は自分のもので(たとえ人に雇われていても、その立場を選んだのは自分だ。そして全部を明け渡せなんてどんなえらい上司も要求できない)、自分の体は自分のものだ。
 体を整えてよく見れば、一日の中には必ず宝が一個くらい眠っている。それを大事に輝かせて、いい眠りの中に入っていこう。形ではない。どんな人とも違う、自分だけのやり方がある。それを思い出そう。
(中略)
 全ては自分の中から始まり、幼いときから生涯を通じて続いてきたのだ。そのヒントは自分の中にしかない。自分はいちばんよく自分を知っている自分の友達だ。今はその感じがばらばらで、みなとまどっているだけなのだ。本能の声を聞いて、耳をすませていけば、必ず自分とぴったりくるポイントがあると思う。そしてそれが一致したとき、個人はとても大きな力で、日常を、周囲を照らすだろう。

『ゆっくりAERA  単純に、バカみたいに』よしもとばなな巻頭エッセイから一部抜粋  

この文章が掲載された『ゆっくりAERA』は、2004年12月10日発行となっている。
約20年前だ。
この雑誌を購入してから、何回引っ越したかを指折り数えてみた。
たぶん、6回。
引っ越しのたびに、物はもちろん、本や雑誌も処分してきた。
ということは、6回の選抜をくぐりぬけてきたことになる。
なかなかすごいことだ。
なぜか。
巻頭にこの、よしもとばななさんのエッセイが掲載されているから。
エッセイが掲載された4ページ分だけを切り取って保存しようかと考えたときもあったが、表紙も含めて雑誌の一体感がなんとなく気に入っていた。
もちろん、持っていたからといって、毎日読んでいたわけでもないし、何年も読むことがない時期もあった。
それでも、少なくとも引っ越しのたびには読み返してきた。
そして次の住み家にも持っていくことを決めた。
ずっとこんなふうに生きたいと思っている。
この雑誌を持ち続けているのは、そんなふうに生きられていないからだと思う。
でも同時に、20年ほぼ変わらずに思い続けている気持ちがあることを思い出させてくれる。

【今日の息子メモ】
・学校から電話あり。「帰りのスクールバスに先生3人がかりで、なんとか乗せました」とのこと。
・登校してから落ち着かなかったので、とんぷく薬(クエチアピン錠12.5mg「アメル」)を1錠飲み、ほぼ一日中寝ていた。給食時だけ起きた。
・デイでは着替えのときに他の人のロッカーの荷物をあさっていたので、注意しました、とデイからも連絡があった。
・帰宅後は、「明日は病院?」と何度も尋ねてくるが、それには答えず、「先にシャワーをして」と言い続けるとあきらめて、シャワーを浴びた。夕食後、20時前に就寝。

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