パイナップルケーキ
私は、台湾のパイナップルケーキが大好きです。酸っぱかったり、甘かったり、卵黄が入っていたり、ベリーが入っていたり、いろんな種類があり、そんなパイナップルケーキの虜になったのは、あの時の出会いがきっかけでした。
2013年8月4日
私は友達に誘われ、ねぶた祭りを見に行きました。数ヶ月前に息子を亡くし、家に引きこもり、泣いてばかりの私を、友達が勇気づけようと外に連れ出してくれたのです。
しかし、祭りは正直楽しくなかった……
みんなが楽しそうで、幸せそうで、笑い声が飛び交ってて、自分だけが不幸みたいで、ただただ辛かった。
でも友達には、心配をかけたく無くて、我慢して楽しいふりをしていました。
――やっと帰る時間になり、私達は、最終の新幹線に乗りました。
目的の駅に到着し、新幹線から降りると、不思議な光景を目にしました。
新幹線から一度降りたのに、再び乗り込もうとする青年がいたのです。
しかしドアは閉まり新幹線は行ってしまいます。
慌てた様子で、行き交う人々に、青年は何か話しかけるが、みんなに「NO」と首を振られるばかり。
その青年は外国人観光客で、駅を間違い、ひとつ手前で降りてしまったようでした。
周りの人に助けを求めるが、今のが最終の新幹線。交通手段はもう無く、それでみんなに「NO」と言われていたのでした。
あの青年は、これからどうするんだろう……
その姿を目にして、私は胸が苦しくなりました。
息子と被ってしまったからです。
もし息子が生きていて、異国の町で困っていたらと考えたら、涙が自然と溢れ出て、悲しくなりました。
助けたい……手を差し伸べてあげたい。
しかし、そんな私を見て、友達は強い口調で言い放ちました。
「外国人だし、言葉は通じない。何されるかも分からない。男だし、野宿だって平気だよ。だから、ほっといて帰ろう」
私は友達にそう促され、帰ることにしました。
――友達は北口、私は南口に車を停めていたので、友達とは、その場で別れました。
南口の駐車場に着くと、あの青年の顔が浮かびました。心臓がドキドキして、胸が痛みます。
心が病んでいるせいか、知らず知らずに、涙まで流れてきます。
このまま帰っても、気になって眠れない……少し様子を見るだけ……私の足は、再び駅に向かっていました。
――駅に着き、辺りを見回すと、青年の他に、男性1人女性1人がいて、仲間が他にいた事を知りました。
3人は、駅にある観光案内板を眺めながら、途方に暮れた様子です。
それもそのはず、時刻はすでに23時。近くにはホテルもコンビニも無く、外にはタクシーも止まっていません。
女性の野宿は辛いよなぁ……。
私は、自分ができる範囲で、何かお手伝いしようと考えました。
例えば、タクシーを呼んであげるとか、宿を探してあげるとか、必要な食べ物を買って来てあげるとか、最悪、自分の家に泊めるとか……。
その時の私には、怖い物なんて何も無く、逆に後悔して、悲しむ方が嫌でした。
だから、勇気を出して、話しかけてみよう……。
そう思った時、帰ったと思った友達が、突然私の目の前に現れました。
「まさかと思って来てみたら、やっぱりいた」と、私を睨んで呆れ顔です。
私はもう、友達に気を遣って我慢するのに疲れ、開き直って、強い口調で言い返しました。
「危険な目に遭ったとしても、息子を失った今の私には、どうでもいい事。だから、邪魔しないで」と……。
そんな私を見て、友達は半分呆れながらも、笑顔で「手伝うよ」と言ってくれました。
――私達が青年の方に目を向けると、青年は私達に気が付き、ゆっくり近づいて来ました。
片言の日本語で、「ハチノヘ、ハチノヘ、◯◯ホテルイキマスカ?」「タイワンカラキマシタ」と必死にアピールします。
八戸市は、この町から車で約1時間の道のり、ホテルの場所も分かるし全然行ける範囲だ。
私は嬉しくなり、「OK、行きましょう」と即答しました。
彼らは、私達がずっと、陰で様子を見ていた事を知らないので、即答での「OK」の言葉に、一瞬驚いていました。
――彼らを車に乗せ、1時間のドライブが始まりました。
青年は『賴』と名乗り、日本語を少し理解できるようでした。
そして、他の2人は、日本語が全く分かりません。しかも賴さんとは、友達でも無く、別々のグループ。
2人も、駅を間違えて降りてしまい、偶然出会った賴さんと、行動を共にしていたのでした。
異国で道に迷い、言葉も分からず、知らない人の車に乗せられ、きっと不安な気持ちでいっぱいだろうと思い、何かお話をして、リラックスさせたいと考えました。
しかし私は、台湾に詳しく無く、お土産でパイナップルケーキをもらって食べて、美味しかった事ぐらいしか思いつきません。
だから、とりあえず、唯一の共通の話題として、
「台湾のパイナップルケーキ美味しい」と言ってみました。
しかし、何故か伝わらず、車内は静まり返ります。
慌てて、「パイナップル」「お菓子」とキーワードを話し、やっと賴さんが理解してくれました。
賴さんが「フォンリースー」と他の2人に教えてくれ、なんとか伝わり、笑い声も聞こえ、少し和やかな雰囲気になりました。
――ホテルに無事到着し、記念にみんなで写真を撮りました。
そして、その写真を送って欲しいと、賴さんにアドレスを聞かれ、それから賴さんと、メールのやり取りが始まりました。
ある日、家に国際小包が届きました。
開けてみると、3人からの感謝の手紙と、いろんなメーカーの、たくさんのパイナップルケーキが入っていました。
私が「パイナップルケーキ美味しい」と言った言葉を、覚えていてくれたのです。
すぐ箱を開け、全ての種類の食べ比べをしました。
ねっとりした餡や、果肉がたっぷり入ったザクザクの餡、酸っぱい味、甘い味。
どれも美味しく、パイナップルケーキには、いろんな味がある事を知り驚きました。
ネット検索すると、どれも台湾で行列の、人気のお店のお菓子でした。中でも台中の日出のパイナップルケーキは、綺麗な箱に入っていて、あまりの美しさに感動ものです。
彼らの心遣いに感謝し、息子の仏壇にも、パイナップルケーキをお供えさせてもらいました。
――そこから私は、パイナップルケーキのファンになり、美味しいパイナップルケーキを求めて、台北旅行に行くようになりました。
パイナップルケーキの他にも、太陽餅や、紫晶酥、ヌガー、美味しいお菓子がいっぱいです。
そして、優しい親切な人が多い台湾。
私の大好きな国になりました。
――賴さんとは、1年ぐらいやり取りをしました。一生懸命日本語で、文字を書き、写真や絵葉書を送ってくれました。
今はもう、やり取りはしていないけど、みんな元気かなぁって、時々思い出します。
あの時の出会いは、私にとって、意味のある物で、心の悲しみが和らいだ瞬間でした。