成都でインフルエンザになった話

北京に到着してそうそうに急性腸炎になりましたが、何とか回復し訪中団に合流して北京を満喫できました。

ただ成都に移動し、喉が痛くなり始めました。これは違いないと根拠のない自信で風邪薬を飲んでパンダ動物園へ向かいました。

パンダのエサ作りをしている最中に頭が以上に重く感じはじめました。そしてパンダが食べやすいように笹を切る作業をしている間にピークに達し、いまにも倒れそうになりました。

なんとかその場では倒れず、バスに乗りガイドにおそらく高熱がありホテルに先に行きたいと伝えました。一時間ほどかかりホテルに到着。熱を測ると39度に達していました。

そこから再び地獄の療養生活が始まります。とりあえず北京で処方された薬を飲んで8時頃まで寝ました。同室の子が帰ってきて三国志の蜀の五虎大将軍の像を観た話などいろいろ聞かせてくれましたがほぼ頭に入ってこない。

10時頃に引率のA先生から食パンをいただき食べました。ただし僕は菓子パンを希望したのですが渡されたのが味のしない食パンで滅茶苦茶腹が立った記憶があります。先生あの時は申し訳ございませんでした。

熱が37度くらいまでに落ち着いたので明日病院に行こうと、契約していた保険会社に連絡します。北京の病院を紹介してもらったように日本語対応できる場所を希望しました。

その後食パンを食べて薬を飲みましたが熱は下がらず、むしろ症状は悪化し吐き気がおさまらなくなって30分くらい苦しみました。とうとう胃の中のものをすべて出てスッキリ。

熱が急激に上がり39.2度になりました。体が熱くて意識が朦朧とする中で子どもの頃の光景が頭に広がります。家族全員で夜ご飯を食べながらテレビを見て笑っているのを俯瞰視点で見てとても日本が恋しくなりました。

後にも先にもあれほど日本の実家を恋しくなった経験はありません。それくらい追い詰められていました。

熱が上がったのをA先生に報告しました。人民病院、いわゆる一般の病院が夜間受診をしているため、そこへ連れて行ってもらえることになりました。
病院に着くと人に座らせる気のない硬い椅子に座って診察を待ちます。周りを見渡すと深夜12時、1時なのに10数人ほど人がいて会話のボリュームがかなり大きい。

採血やレントゲン検査、インフルエンザ、コロナウイルスの検査を一通り終えた結果、僕が罹っていた病気はインフルエンザである事が判明しました。

身体がフラフラでもうタクシーにも乗れない状態だったので点滴を打ってもらい5時にホテルへ帰還します。その次の日は比較的に元気で処方してもらった薬を飲みながら寝て、Youtubuを観たりゆっくり休みました。

今なら考えられませんが、その次の日には訪中団の日程が終了し留学先の北京へ行かなければならなかったのです。病み上がりのまま8時頃にホテルを出て15時頃に北京の空港に着きます。一週間前は死にそうになりながらここに着いたっけと思いつつ、空港を後にし北京語言大学へ向かいました。

驚くべきことに、ガイドさんがタクシーを呼んで北京語言大学まで送ってくれました。実は点滴を打っていた時も病院で一緒にいてくれたり、色々お世話になりっぱなしでした。本当にありがとうございます。

北京語言大学での留学生活がいよいよ始まります!

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