『 河井寛次郎 』
『 陶工 河井 寛次郎 』
河井 寛次郎 は、『 民藝運動 』の最初期の同人であり、浜田 庄司 と共に
柳宗悦と最も親かった陶芸家です。
その他にも、富本憲吉、バーナード.リーチ、芹沢銈介、棟方志功と
そうそうたるメンバーが 柳宗悦 、民藝 を介して集まり、お互いに触発され、
切磋琢磨し合いながら、自分たちの仕事を築いて行きました。
その中にあって、河井寛次郎 は独自の感性により、
独創的な造形を展開して行きます。
しかし、もちろん 河井寛次郎 の見つめていたものは独創的とか個性的とか
言うような偏狭な世界ではなく、もっと大きな世界だったようです。
それは彼の作品、文章を見れば誰でも肯首するところでしょう。
常識的な世界を超え、更にその背後の世界を見ている感があります。
是非、この世界を紹介したいのです。
人は物の最後の効果にだけ熱心になりがちである。
そして物からは最後の効果に打たれるのだと錯誤しがちである。
しかし實は、直接に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだ
と云ふ事のこれは報告でもある。
河井寛次郎.(1953).『火の誓い』.「序」. pp 01. 朝日新聞社.
これは『 民藝運動 』の全てを貫く言葉だと思います。
ここまで「 物を見る 」と言う行為を徹底して、掘り下げて行った同人たちの
洞察力には、改めて驚かされます。
幼稚な例で恐縮ですが、若い頃、素人ながらに水墨画や書を試みたことがありましたが、最初は墨の かすれ や はね、にじみ などの墨や筆の効果にばかりが気になって、かっこ良さ や 芸術っぽい造形と言うような、表面的な、眼に見えるものばかりを狙っていたように思います。
水墨画や書の美しさとは、そんな所にあるものではない ー と気がつくには
まだもうしばらく時間が必要でした。
「 同じ底邉を持った無數の三角形 ー 人間 」
人間はその三角形が大きい、小さい、三角形の頂点が高い、低い、鋭い、鈍い ー と頂点ばかりで争っている。しかし、三角形の底辺は一つだ。
河井寛次郎.(1978).『炉辺歓語』.pp174.東峰書房.
これは、どこで読んだか忘れてしまったのですが、掲載をお許し願うとして、
「 ” 自己 ”と言うものを掘り下げ、掘り下げして行くと、
やがて大きな岩盤にぶつかる。そして、それは同時に” 他己 ”へ通じているだろう。」
これ等はどちらも同じ所を見ての言葉です。
これは、普通 人が注目する様な 目に見える 個人、個性(三角形の頂点)では無く、個人、個性を成り立たせている その基盤 と言いますか、その背後にある大きな世界、大きな働き(底辺)を見ての言葉です。
これ等が『 民藝 』同人達の見つめていた世界です。
河井寛次郎は感性の鋭い人間でした。
普通見えないものを取り出して見せてくれます。それがありがたいと思います。
『 村の設計者 』
河井寛次郎はよく田舎の村を散歩するのが好きだったそうですが、
ある時、ふと立ち寄った村に感激します。
そして夢中になってその村を見て回ったのですが、ある時などは
その美しさに呆然と立ち尽くす事さえあった様です。
そしてその感激の後、自分に問いかけます。
「 この美しい村の設計者は誰か?」
この問いこそ、人が美しいものに出会った時に発する問いでしょう。
「 こんなにも美しいものを誰が作ったのか?」
しかし、実際に作った製作者の固有名詞では答えになりません。
河井寛次郎の言う、『 背後の設計者 』、『 背後の製作者 』を
突き止めなければ答えにならないのです。
人々は始め自分達の好き勝手を持ってここに這入って来たのに相違ない。
そして殖えるにしてもそんなにして殖えたに相違なく、
その自分勝手な振舞の組合せが現在のこの村の姿なのに相違ない。
その好きずっぽうの綜合がどうしてこんなになったのか、
自分はこの驚くべき 設計者 の顔に當面せざるを得ない。
河井寛次郎.(1953).『火の誓い』.「部落の總體」.pp09-10.朝日新聞社.
この 設計者 こそ、人間全ての人の中に有る『 本来の働き 』の主人では
ないでしょうか?
そしてそれは、決して特別な事でも、
才能ある者のみが持っている物でもないのです。
例えば、引越しの時を思い出してみると、当時、美大生などは、
貧乏学生の代名詞でもあったので、自然と部屋は 四畳半とか六畳と言う
狭いアパートと相場は決まっていた上、普通の学生の荷物プラス
イーゼルとかキャンバス、画材、モチーフ、画集 など荷物は山のようでした。
それで、押し入れを開け放し、寝床にしたりと、みんな何かと工夫をして
暮らしていたものです。
引越した当日は、山の様な荷物をどう配列し、収納するか
途方に暮れる状況でした。
ドアはここ、窓はここ、お勝手はここ、しかし押し入れはここだし、動線はこうしか無い。問題は山積みです。
しかし、誰でも一週間もしないうちにこの難問を見事に解決してしまいます。
それどころか、自然とその狭い空間に自分の世界をも創り上げてしまうのです。
こんな事を人は誰でも自然に、当然のようにやってのけるのです。
この、部屋の設計者こそ、村の設計者の極小単位であり、個人の中の 製作者で
あり、『 本来の働き 』の主人ではないでしょうか。
『 民藝運動 』の同人達が『 民藝 』の世界に見つめていた『 背後の制作者 』。
これが誰しもの中に在って、そして日々 毎日 活動、活躍している事、
この事実を人々に知ってもらう事こそ『 民藝運動 』の念願であったと
思えてならないのです。
『 誰が動いているのだ これこの手 』
河井寛次郎.(1953).『火の誓い』.「火の願い」.pp 209. 朝日新聞社.
『 百姓は日々用いて知らず 』 『 易経 」
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