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「羅生門」をどう読むか①

今回は、「羅生門」という小説を深く読んでいくうえで、「境界線」というキーワードを設定してみたいと思います。

そもそも「羅生門」とはいったい何なのでしょうか?

作中では詳細な説明がなされていませんが、これは言うまでもなく「門」です・・・(笑)

当り前じゃないか! なんてお怒りになる前にもう少しお付き合いください。

「門」の役割は何でしょう? これは言い換えれば「出入り口」であり、外と内をつなぐものです。

では、この「門」というのは外にあるのでしょうか? それとも内にあるのでしょうか?

「羅生門」はそれが取り囲む都(平安京)の内側にあるのか、外側にあるのか?

身近な例で考えてみてください。学校の校門は学校の外側にあたりますか? それとも内側にあたりますか?

ディズニーランドで最初にくぐる門はどうでしょう。 今まさに門をくぐる瞬間、門の屋根の真下にいると考えてみてください。そこはディズニーランドの内とも外つかない曖昧な領域なのではないでしょうか。

つまり、「門」は内側と外側の「境界線」であり、また、内と外のどちらに属するのかわかりにくい(人によって感覚が違う)ものなのです。

このわかりにくさを「曖昧さ」と言い換えておきます。

 「羅生門」の内容には「曖昧さ」=「境界線」の上にあるようなものが複数描かれています。次に、それを確認していきましょう。


〈「羅生門」の中の境界線と曖昧さ〉

① 時間

  〝ある日の暮れ方のことである〟

 この小説の冒頭の一文は、物語の時間を設定しています。そして、それは「暮れ方」なのです。昼と夜の「境界線」にあたる時間なのですね。明るさと暗さの曖昧な時間から、この小説の語りは始まっています。

② 季節

  〝きりぎりすが一匹とまっている〟

 きりぎりすは秋の季語です。つまり、暑い時期と寒い時期の「境界線」ですね。

 と言っても、平安時代の気候を現代と同じように考えることはできないかもしれませんが・・・。もちろん芥川が「羅生門」を書いた大正時代とも多少は違うでしょう。

③ 時代

 文中に明確な記述はありません。そこで、平安京が天災の被害を受け、治安が乱れていることから、貴族の華やかな生活が終わりを迎えつつある平安時代末期と推測するのが一般的です。ということは、続く鎌倉時代に向けての「境界線」の時代です。貴族から武士の時代へ。紫式部や清少納言が見事な文学作品を生み出した時代から、平氏と源氏の争いの時代へ。人々の生活や価値観も激しく揺れ動いていたことでしょう。

④生と死

〝とうとうしまいには、引き取り手のない死人を、この門へ持ってきて、捨てていくという習慣さえできた〟

 羅生門の中には死体が放置されています。そこに下人が行くことによって死者と生者の交わりが生まれます。(生者の側に老婆がいることも忘れてはいけません。)

 羅生門は生と死の「境界線」になっているのです。

 ここで少し飛躍した話をします。その主題は下人の生と死、言い換えれば再生です。

 下人は死んではいませんが、仕事を失って、行く当てがなく、とうとう羅生門にたどり着いたという流れを考えると、社会的には死んでいます。生きる意味を失っていると言うこともできるかもしれません。

 その下人が、羅生門の中での出来事を通してよみがえるのです。文学的な意味での再生ですね。一度死を経験した主人公は強くなってよみがえります。(これは漫画やアニメの王道の展開でもあります。ワンピースのルフィも、ドラゴンボールの悟空も、何度も死に近づいて、そのたびに強く成長していきます。)

⑤ 下人はどこから来たのか

 下人が羅生門にいるところから、この小説は始まるわけですが、さて、下人は門の内側から羅生門にたどり着いたのでしょうか。それとも、外側から来たのでしょうか?

 内側から来たのだとすると、下人は長い間都で暮らしていたことになります。彼は仕事を失い、いったん都の境界線まで来て、物語の最後に再び都に戻っていくという流れが考えられますね。

 一方で、下人が来たのは都の外側からで、彼がこれまで仕えていた主人は地方の有力者と考えることもできます。その場合、下人は仕事を失ってから、都に向かって来て、羅生門を通過して都に入るという流れになります。

 さて、どちらの読みが正しいのでしょうか。本文中に明確な証拠が書かれていないので、この問題はどっちともとれるとしか言えません。事実、研究書でも下人が外からやってきたことを前提にするものもあれば、下人が都に住んでいたと考えるものもあるのです。諸説あり、というやつですね。

 ともかく、下人は外から内に向かっているのか、はたまた内から外に向かっているのか、曖昧なのです。その点で、内向きと外向きの境界線上にいると考えることができます。

⑥ 登場人物

 羅生門の登場人物に固有の名前はついていません。

 下人は「身分の低い者。召使い」を表す普通名詞ですし、「老婆」も名前ではありません。
 下人は別の者から見れば「友達」かもしれないし、親から見れば「息子」です。つまり、見る人が変われば呼び名も変わってしまう、その程度の名しか与えられていないのです。 
 老婆も、この小説に描かれた場面の中において「年老いた女性」を表すだけです。同年代の年配の人々からすれば老婆ではないでしょう。

 また、「市女笠(いちめがさ)」や「揉烏帽子(もみえぼし)」といった言葉も出てきます。この人々は正確には登場はしていませんが、大事なのはその呼び名です。市女笠も揉烏帽子も身に付ける衣類の一種です。これは、メガネをかけている人をメガネ君と呼ぶようなもの、赤ずきんを身に付けている少女を赤ずきんちゃんと呼ぶのと同じことです。脱いでしまえば、市女笠とも揉烏帽子とも呼ぶことはできなくなります。

  そういうわけで、羅生門の人物の呼び名はすべて一時的なものでしかありません。彼らの呼び名はいつでも簡単に変わり得る、「境界線」の上にあるものなのです。

⑦ 正義と悪

 〝では、俺が引剥ぎをしようと恨むまいな。俺もそうしなければ、飢え死にをする体なのだ〟

 もしも「羅生門」が伝えたいことを考えよう、といった授業が行われたなら、答えは「正義と悪の曖昧さ」になるのではないでしょうか。はじめ、下人は盗みをしなければ生きていけないと考えながら、とてもそんなことはできないと考えていました。

 しかし、老婆の悪の論理=「生きるために仕方なくする悪事は許される」・「相手が悪人なら悪いことをしても許される」といったものに触れ、下人の価値観は変容します。

 ここで重要なのは、完全に悪に染まったわけではないということです。悪が全面的に肯定されたわけではないのです。
 場合によっては、許される悪もあるというのが羅生門らしい曖昧さなのです。

  余談ですが、羅生門が最初に発表されたとき、その結末は今とは違うものでした。

〝下人の行方は、誰も知らない〟

 これが今の結末ですが、これは一度書き直された内容なのです。最初の結末はこうです。

 〝下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつつあった〟

 芥川は最初、下人が強盗になるという明確な悪への変化を描いていました。しかし、どのような考えがあったのかわかりませんが、行方がわからないというように書き換えたのです。こうすることで、下人が悪に染まったのか、そうではないのかが曖昧な状態になりました。

 羅生門において、下人はこれまで持っていた正義感に加え、老婆の悪の論理を身に付けました。どちらか一方だけが優位に描かれているとは言えません。まさに、羅生門での出来事は善と悪の境界線上で、価値観がせめぎ合う物語と言うことができるのです。

⑧ 語り手

 「羅生門」の語り手は小説の世界の内側にいるのでしょうか、それとも、外側にいるのでしょうか?

 この問いには説明が必要ですね。

 語り手には様々なタイプがあります。

 例えば、〈語り手=登場人物〉の場合がありますね。主人公のこともあれば、脇役のこともあります。1人称の語り手とも言います。このタイプは基本的に自分が見たり聞いたりしたことしか語ることができません。感情についても、私は嬉しい、悲しいということは言えても、他の登場人物については推測や様子の描写でしか表すことができません。

 「私は彼が悲しんでいるように感じた」とか、「彼の表情は暗かった」といったように・・・。

 これに対して3人称の語り手というものがあります。これは、どの登場人物の内面にも入ることができる語り手です。

 「彼は会いたいと思っていたが、彼女はもう離れたいと思っていた」といったように。

 このとき、語り手の視点は登場人物を空の上から見下ろすようなところにあります。全ての登場人物の気持ちを語ることができ、時間や場所を選ばずに視点を移動させることができます。こんな特権的な力を持っているために〈神の視点〉と言われることもあります。意識しない限り存在が気にならないために〈透明な語り手〉と言うこともあります。

 「羅生門」の語り手も、この三人称の語り手に属すると思われます。視点は下人に限定されているわけではないので、妥当な考え方でしょう。

 さて、三人称の語り手であっても、基本的には小説の内側にいることが多いのですが、「羅生門」の語り手はどうでしょう。この語り手はところどころで微妙に小説の外側に顔を出してきます。

 〝旧記によると、仏像や仏具を打ち砕いて~〟

 ここで言う旧記とは、『方丈記』のことだと考えられています。鴨長明が『方丈記』を完成させたのが鎌倉時代のこととされているので、「羅生門」で描かれている時代よりはもう少し後のことになるはずです。ということは、「羅生門」の語り手は下人が羅生門を訪れた日よりも後の視点から語っているということになります。しかも、この語り手は私たち読者が生きる現実の世界に存在する『方丈記』に目を通したことがあると言うのです。

 まあ、ここまでなら許容範囲です。虚構の小説世界の中に現実世界の物が描かれることはよくあります。

  〝作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた。」と書いた〟

 ところが、ここで「作者」はあからさまに顔を出してくるのです。作者がいるなんて、作品の中にいるはずの語り手が言っても良いのでしょうか?  
 いわゆるエッセイやノンフィクション小説ならまだしも、平安時代を舞台にした虚構の作品において作者の存在が明確に語られるのです。

 作者の存在が示されることによって、「羅生門」という作品が明らかに虚構の物語だという印象が強まります。あくまで、芥川龍之介が書いたお話なのです。下人も老婆も作者が生み出したキャラクターだということですね。

(ここで、作者である芥川龍之介と語り手は同じなのかという問題が頭をかすめますが、そこに入っていくと長くなりすぎるのでスルーします。とはいえ、「羅生門」に出てくる「作者」というのも、芥川龍之介の創作したある種の登場人物かもしれないと考え得る可能性があることは頭に留めておきたいですね。)

 とにかく、作者というのは小説の外側にいる存在です。小説の外側とは、読者のいる世界=現実の世界に外なりません。この場合、作者は当然ながら物語世界の全てを把握することができるです。だって、自分が書いているのですから。しかし、その実はどうでしょう・・・。

 〝下人の行方は〟誰も知らない

 これは非常に難しい問題を含む一文です。「誰も知らない」と言い切ることができるのはどんな立場の人なのでしょうか。

  ある友達グループの中で「あいつの行方は誰も知らないよ」と言うことはできるでしょう。しかし、上記の文はもっと広い視点で書かれていることは明白です。
 すると、下人が行った先で出会う誰かは知っているんじゃないの? という疑問が浮かびます。下人が事故死でもしない限り、必ずどこかで誰かに会うからです。
 ここで注目すべきなのは、語り手の特権です。先に見たように、「羅生門」の語り手というのはいわゆる「全知の語り手」です。時間や場所を選ばずに、あらゆる視点から語ることができる、いわゆる「神の視点」をもっている語り手です。この語り手にはわからないことはないのです。

 なんせ、自ら作者の存在に言及するほど、この小説が作り物であることに自覚的な語り手なのですから。にも関わらず、下人の行方を知らないとするのはなぜでしょうか?
 ここに、語り手の「曖昧さ」があります。語り手には下人の行方を説明することもできるのです。(あえて言い換えれば、作者は下人の行方=「羅生門」の続編を書くことだってできるのです。)

 語り手があえて曖昧な態度をとっていることを確認したところで、改めて問い直しましょう。

 「羅生門」の語り手は、小説の世界の内側にいるのでしょうか、外側にいるのでしょうか。

 内側の存在だとすれば、下人の行方を知らないことにも納得はできます。

 しかし、先ほども見たように『方丈記』に言及したり、作者に触れたりする語り手が内側にいるはずはありません。

 では、完全に小説世界の外側にいるのかと言うと、やはり下人の行方を知らないのだから、内側にいるように思えてしまうのです。

 つまり、「羅生門」という小説の語り手の視点は、小説世界の内側と外側の「境界線」の上で、まるで読者を混乱させるのを楽しむかのように遊んでいるのです。

まとめ

 いかがでしたでしょうか。「羅生門」の中に現れる「境界線」について、以下の8つの点を挙げてみました。

 ① 時間

 ② 季節

 ③ 時代

 ④ 生と死

 ⑤ 下人がどこから来たのか

 ⑥ 登場人物 

 ⑦ 正義と悪

 ⑧ 語り手

 この小説が描いているのは、あらゆるものが境界線上で曖昧になってしまう「羅生門」という空間そのものなのです。そこでは時間や季節といった設定にはじまり、人の命や価値観、そして虚構と現実の区別さえも曖昧な=どっちともとれるようなものになってしまっているのです。

 そしてそれはまさしく人間のあり方そのものに対する芥川龍之介の見方なのかもしれませんね。

補足

 今回の読みはいかがだったでしょうか。

 もしかしたら疑問に思った人もいるかもしれませんが、ここでは「芥川龍之介が何を伝えようとしたのか」といった面から彼の人生を調べることや、この作品が書かれた時代背景や歴史的文脈には触れてみること全くはありませんでした。

 いちおうこのような読み方、つまり、作者や時代から作品を切り離し、書いてあることだけから考察していくスタイルはテクスト論と呼ばれています。

 私の知っている範囲で言うと、石原千秋さんという方が非常に面白い本を書いています。この記事でもかなり参考にさせていただきました。また、ロラン・バルトという人がテクスト論の生みの親のような立ち位置にいる人なので、興味があれば調べてみてください。

 それではまた・・・by 国語村長

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