見出し画像

だってこれは友達には話せない話だから

留学に来て、自分は惨めだと思うことが少し増えた。
もちろん友達が少ないことも、
英語がネイティブほど話せないこともそうなんだけど
一番は私の家にお金がないから。

お金がないといっても全くないわけではない。
私も詳しくは知らないけどきっと両親が稼いでいるお金は世間で言う中流家庭といったところだと思う。
でも私の家はお金がない。

「私の家お金なくてさー」って言うと大体謙遜だと思われる。
だけど私たち姉弟の学費や、父の仕事、住宅面など様々なことが積み重なった結果、我が家にはあまりお金がない。

その環境で留学するということ

そんな中、今私は交換留学に来ている。
この円安の物価高の中何もかもが高いアメリカに。
留学に来て1番衝撃的だったのは「パパの会社が〜」って話始める日本人の友達の多さ。
もちろんこれはパパが「働いている」会社という意味ではなく、パパが「経営」している会社という意味。
ちょうど就活の話をしていたときに
「私って多分お金に苦労したことないからあんまりお給料のこと詳しく見てないんだよね」って言われた時は唖然とした。(私も言ってみたいものだ)

そんな友達のうちの1人が
「本当に今お金がなくてさー。奨学金の応募逃しちゃったの悔しいけど応募時期が早かったし仕方ないよね」
って言っていた言葉がずっと引っかかっている。

いや、仕方なくないよ。
だって私みたいに奨学金がなきゃ留学に行けないくらいお金がない子は最初から血眼で奨学金を探してたから。
それはあなたが怠惰だっただけでしょ?って。
こんなこと考えても仕方がないってわかっているけれど、心の中で悪態をついてしまう。

私が今もらっているのは月額20万円もらえる奨学金だ。
応募した中で一番貰える額が大きかった奨学金だけど、その他にも二つの奨学金に応募してた。
そのくらいお金が必要だったから。
普段私の学費には口を出さないママにも「奨学金を取って留学に行ってほしい」と頼まれてしまったから。
ちょうど3つの奨学金の応募期間が重なって、サークルの練習で帰宅も遅くなり、課題も忙しくなった頃、普段なかなかキャパオーバーしない私でも流石に一杯一杯になってしまった。
ある晩、時間に追われながら書類を提出しているときに両親に号泣しながら怒鳴ったのを覚えている。
「こんなに奨学金がなきゃ留学に行けないくらいお金がないなら留学行っていいよって言わないでよ!!!」って
その晩は、お風呂の鍵をかけて1時間1人で泣き続けた。

今でも思い返すだけで切なくなる。
お金がないだけでこんなに掻き乱されなきゃいけないなんて。
悔しくて悲しい。
(ちなみに私の場合留学のお金は奨学金以外にも今まで貯めたお年玉や祖父母からの支援で成り立ってます。)

地元の話

小学生の時は親の職業が何かもいくら稼いでるかも気にしたことがなかったし、周りの家庭がどんな生活をしているかも気にしてなかった(普通の公立の市立小学校だったからかもしれないけど)。
習い事は自由にさせてもらっていたし、学校で必要な物は買ってもらえていた。給食費が払えなかったことなんてなかったし、それこそお金に不自由したこともなかった。
私にとってはありふれた日常がそれで、全ての生活に満足できていたから。

去年の1月、4年振りに会った地元の友達に留学に行くことを報告した際に
「え、留学行くの!?お家お金持ちだね」と言われたことが忘れられない。
私が通っている大学は学年の三分の一が交換留学へ行く。
だから留学が特別だって考えたこともなかった。
そこでようやく気づいた。
今私が身を置いている環境と、小学校まで住んでいた地元は正反対の環境だってことを。
私の地元は湘南(?)でもヤンキーが多い地域で(夜はバイク音が鳴り響く)、
市営住宅に住んでいる子もたくさんいた。
毎回遠足代を忘れてくる子もいた。
シングルマザーの家庭の子もいた。
同じ服ばかり着ている子もいたし、お姉ちゃんのお下がりのランドセルを背負っている子もいた。

いわゆる地域格差ってやつ?同じ大学の子達からはなかなか聞いたことのない地元の環境である。

でもそんなことひとつも当時は気にならなかった。
それが当時の私にとっての普通だった。
公園で友達と一緒に遊べて、あったかい寝れる場所とご飯があれば満足だった。

でも中学生、高校生、大学になって、海外暮らしを経験して「帰国子女」になった。
私の「普通」は変わって、小学生の頃と同じものだけじゃ満足できなくなった。

あーあの子のお家は海外旅行に頻繁に行ってるな。
あーあの子は中学校から私立に通ってたんだ。
あーあの子はお家がそんな一等地にあるんだ。
あーあの子の親は大手企業に勤めてるんだ。
あーあの子はあんな高いブランド品を持ってるんだ。

自分には無いものばかりが見えてしまって切ない気持ちでいっぱいになる。
上を見れば見るほどキリがなくて虚しくなる。
でもそれって本当に重要なものなのかな。

久しぶりに会った友達の中には
大学に進学していない人もいて、
19歳で妊娠して親に内緒で中絶してた子もいて、
将来どうなるか見通しが立っていない人もたくさんいた。
でもみんな幸せそうで、楽しそうだった。

私が育ってきた二つの「普通」
どちらも経験してきたことで余計に苦しい。
私にとってはどっちが幸せなんだろう。
将来はどっちの人生を歩むんだろう。

ちょっと終着点が見えなくなったので…

正直ここまで書いてきたけど、元々下書きにはこう書いてた。

悔しい
悔しい
悔しい
きっと世の中の大半の21歳は私のことを「恵まれてる」って思うはず。でも私は私より恵まれている人が羨ましくてしょうがない。
みんな私の家よりお金があって羨ましい。
お金のことを考えると苦しい、けど誰にもこの悩みは言えない。
だってきっと共感してもらえないから。

だからこうやってNoteに書いた。
だってこれは友達には話せない話だから。
金銭面で少し惨めな思いをしていることも、
私がキャパオーバーしたことも、
私たちの「普通」が「普通」じゃない人が日本にたくさんいることも。

自分が信じてる幸せが周りから影響を受けて、作り出されてきたものだと常に考える必要があるって気付かされた今日この頃。
今まで(特に留学に来てから)他の子達が羨ましかった。
何不自由なく暮らしてきて、惨めな気持ちを経験したことがない子たちが。
でも今こうやって考えてみると、日本の都会とも田舎とも言えない場所で幼少期を過ごした経験が私の礎になってると気付かされる(私の金銭感覚含め)。

正直今でも自分ももっと裕福だったらなって思うことはある。
学業以外に費やす労力だったり、罪悪感を感じずに大学生活を送れるなんて羨ましい。
でもその環境で育っていたら日本中に広がる「普通」だったり地域格差について無知のまま過ごしていた。
そんな人生よりは、少し苦しんでも様々なことについて知っている方が豊かな人生だと信じている。

多分お金にまつわる話(&私の惨めさ)は一生?当分消えないと思う。
だけど少しでもみんなに自分が育ってきた環境以外にも「普通」があることを知ってもらえたらいいな

勇気を振り絞って書いた今回の投稿が少しでも多くの友人の目に留まりますように(元々の意図と矛盾してるけど)。

またね。


いいなと思ったら応援しよう!