インセルな私~弱者男性と愛情~
近頃ツイッターではインセルや弱者男性はセックスをすれば治るかのような言説が流行しているがそれは本当なのだろうか?以下の記述は何の根拠もないし私の極めて個人的な欲望に過ぎないがこの言説に対して否と言いたい。
私はセックスそれ自体は全く求めていない、私が求めいているのは何より独占的で排他的な私だけに向けられる愛情である。セックスはその愛情に伴う副次的なものにすぎずセックスしたところで私のインセルとしての思考は治ることはない。なぜこのような思考に至るのかまずは私の願望を列挙していこうと思う。
私は所謂処女厨でありそれも重度の処女厨である。私の理想はお互いが初恋で童貞と処女の状態で結ばれ結婚し添い遂げる、もし天国が存在するならば永遠の時を二人で寄り添って生きる。この運命のロマンスを実現するためには処女であることが重要なのだ。さらに私は妻になる女性への要求が天井知らずであり女性に求める知性は人類の歴史に類を見ないほどの知性を持った天才であり、学問、芸術、料理、あらゆる分野において他の追随を許さない才能を持っていることを求めている。容姿は173cm以上、腰やお尻まで伸ばした長髪、色は黒色かダークブラウン、顔はアズールレーンの瑞鶴に似ていること。性格は聖女のように慈悲深く私だけを溺愛しあらゆる危険から私を守ってくれる勇敢さを持っていること。ストライクウィッチーズの女性のように生命を賭して愛おしいものを守る勇気を持った女性である。また私の言うことをすべて聴き入れ私が望むすべてのプレイを叶えてくれる。
私の理想のプレイは生涯に渡る赤ちゃんプレイであり妻がママ役、私が赤ちゃん役である。ツイッターで私はプレイでの妻の役割を奴隷ママと呼んでいる。奴隷であるがそれは愛情に基づく隷属であり同時にママとして子を守り慈しむことを要求するものであるから私は奴隷ママが最も適切であると考えている。
これらの条件を満たす女性から愛され守られ養われ私が望むあらゆる快楽を与えられる、これが私の願望でありセックスではインセルとしての思考が治らない原因である。ただセックスがしたいわけじゃなく、ただ彼女が欲しいわけではない。奴隷ママでなくてはならないのだ。それもすべてが完ぺきな女神様が私の奴隷ママになってくれなければいけないのだ。私にとってほぼすべての女性は恋の対象外である、上記の条件を満たす女性は世界中を探しても見つかることはないだろう、だからこそ世界のすべてを憎んでしまいインセルになってしまうし治ることがないのだ。
世間ではインセル対策や弱者男性の救済を唱えるアンチフェミがいるが何をしても解決などできはしないだろう。解決できるとすれば私が言う奴隷ママに近い女性が妻になってあげて愛情もセックスもお金もすべてを与え続ける以外に方法は皆無だと言い切ってもいい。人が何よりも求めるものが愛情と安全と快楽である以上それらから切り離された弱者男性は自暴自棄にならざるを得ないだろう。
そして最後に言いたいことがあるがフェミニズムや男性学は弱者男性を救わない。彼女らの言う有害な男らしさの呪縛によるものではない。弱者男性はただただ愛情を欲しているだけなのだ、この単純なことにたいして有害な男らしさだとか規範にとらわれているなどと指摘するのは誤りである。フェミニストは根本的なところで人間の心理を全く理解していないのである。