Ⅱ 女司祭
ただいま、
タロットの魅力を知ってほしいという気持ちから、
タロットの意味をブログで書いています。
【登場人物の行動】
言葉で語らない
自分から動かない
成り行きを見守る
【絵の描写】
静まり返った薄暗い建物の中で、
青い衣を着た女性が
固い椅子に腰かけています。
顔は正面を向いていますが、
口元は固く結ばれ、
この女性は
簡単に物事を語ってくれない様子です。
手にはTORAと書かれた律法書を持っており、
それは半分ベールで隠されています。
頭には三日月と満月を型どったような冠をのせ、
左の足元には三日月を置いています。
女性の後ろには
ボアズと呼ばれる黒い柱と
ヤキンと呼ばれる白い柱の2本が立っており、
その間を、
ヤシと生命の木と同じ配置で刺繍された
ザクロのベールがかかっています。
さらにベールで区切られたその後ろには、
海が広がっているように見えますが、
はっきりとは見えない状態で描かれています。
【解説】
この女司祭のカードは、
一つ前のカードの魔術師の
男性原理と対になる女性原理を表しています。
能動的な魔術師に対して、
座って、動こうとしない女司祭は受動的です。
受動的であることを、
時にネガティブのようにとらえがちですが、
受動性は精神の働きを促す働きがあります。
行動だけだと、
行動を通して熟考する機会がありませんが、
受動性は、もっと深い感覚において、
無意識を活性化させることになります。
そして、このカードは、
自分の無意識を知らずして、
自分自身のこと、
また世界のことを
完全に知ることは
できないということを示しています。
ここで、
自分を知るとはどういうことか、
そもそも自分とはどう定義できるのかを考えてみます。
例えば、
「私はどんな人間ですか?」の質問に答えてみます。
私は、名前を○○と言います。
私は、○○に住んでいます。
私の職業は、○○です。
私は、○○の音楽が好きです。
などなど
色々、私というものを語りえて、
定義することができます。
では、
もし、○○の部分が変わったら、
私の定義が変わり、
私は別の存在になるのでしょうか。
結婚・卒婚で名前が変わったら、
住む場所が変わったら、
仕事が変わったら、
好みの音楽が変わったら、
確かに、
変わった部分はあるけれど、
変わる前も後もやはり私は私なのです。
では、
私という人間を
本質的に語るにはどうしたらいいのか。
女司祭は答えます。
そんなことは簡単に語れないと。
絵に描かれている
隠れた律法書と
柱の向こうのベールで隠された世界は、
無意識の叡智の世界、
つまり自分の奥深い領域を表していて、
そしてそれが、
隠されている描写から、
簡単にはわからない、
神秘的で
不可知な世界であることを示めしています。
また、硬く閉ざされた女司祭の口元が、
その世界を
簡単に語りえることではないことを表しています。
柱で区切られた向こう側の領域は、
絶対不可侵な領域で、
他人はもちろん、
たとえそれが自分自身の領域であっても、
高次な理解ができるようにならないと、
決して入れない場所なのです。
話を少し戻しますが、
私とは、
「私は○○です。」
と断定して表現されるものではなく、
「私は○○ではない。」
と否定形で表現される自分、
「それをすると、私らしくいられない。」とか、
「それは自分と違うんだよなぁ。」とかを
感じる部分で、
自分でわかっているけれども、
うまく説明できないということが
本質的な私なのかもしれません。
だからこそ、
女司祭には意味に、
言葉にならないような心の声を聴く、直観というような表現が
含まれるのかもしれませんね。
長々と書きましたが、
そんな難しい無意識の領域を、
理解し得る時が来るのだろうかと思ってしまうかもしれません。
女司祭は、
あなた自身が忘れかけている、
自分の中に眠る
大きな潜在能力とその果てしない可能性を
思い出すように告げています。
そして、それは、今すぐ答えが出るものではなく、
機が熟すまで待つこと、
焦らないこと、
そのような時間、
沈黙を通じて得られるものであることを
教えてくれています。
女司祭は何も語らないけど、
私たちが気づくまで、
じっと待ってくれている、
そんな優しいカードなのかもしれません。
【意味】
【正位置】
無為意識の気づき、内なる声を信じる
じっと待つ
心を静める、受動的になる
物事から身を遠ざける
直観、内なる声を信じる
可能性を知る、才能を見つける
目に見えない世界に心を開く、
影の部分を受け入れる、秘密を感じ取る
【逆位置】
融通が利かない、考え方が極端すぎる
慎重すぎる、神経質、批判的
閉鎖的
頑固