「MELODY」

僕がともりさんを知ったのは虹ヶ咲4thライブ「Love the Life We Live」
そこで披露された「ヤダ!」が死ぬほど可愛かったのがキッカケだ。
ご存じの通り、4thライブ以降のともりさんは身体的理由でパフォーマンスを制限されていた。その日披露されたのはソロ曲の1曲のみで、それ以外はステージ外だった。つまり、僕は万全の状態の優木せつ菜を見ていないことになる。

僕が見てきた「優木せつ菜」は、ずっと悔しそうだった。「本当はもっとやれるのに」そう訴えかけられているような気がしてならなかった。
ともりさんが5thライブのMCで「私が動けないと、せつ菜が動けないように見えてしまう。だから、このような形でステージに立つことは、本当は避けたかった(意訳)」と言っていたことが今でも鮮明に覚えている。
僕は、ステージに立てることが「うれしい」と思うものだと思っていて、きっと彼女もそうなのだろうと思っていた。だからこそ、この発言はとても衝撃的だった。この言葉は、自分よりも、「優木せつ菜」を最優先に考えていないと言えることじゃないと思った。
唐突に競馬の話をするが、一流のジョッキーは「この子のお陰です」と騎乗した馬をたたえると聞いたことがある。ともりさんにも同じようなものを感じた。「キャラクターがいてくれての私」実際本人がどう思っているかは知らないけど、僕はそういう、自分の演じるキャラクターに対するリスペクトの姿勢が、ともりさんの一番好きなところだと、この時から思った。

ともりさんの「優木せつ菜」降板のお知らせが発表されたのは、5thライブから2か月もしないうちのことだった。
「優木せつ菜」の役を降りるだけで、声優・アーティストとしてのともりさんは終わらない。ただ、僕がともりさんを知ったきっかけは優木せつ菜だったから、優木せつ菜が、これからは違う人のものになってしまうのが悔しかった。正直、踊れなくてもいいから、今の形のままでもいいから、これからもせつ菜を体現してほしいとも思った。「はじまったのなら、貫くのみ」なんじゃないのか?仕方のないことだけど、感情はそこまで大人じゃないから、割り切れなかった。

ともりさんがせつ菜を表現しているときは、「帰ってきてくれた」という気持ちになる。
ともりさんは、声優として、せつ菜以外にも様々なキャラクターを演じている。最近ではチェンソーマンのマキマなど、注目度の高い大役を務めるようになっていて、間違いなく「売れっ子声優」と言ってもいいだろう。
もちろんファンとして、ともりさんのお仕事が増えていくのはとても嬉しいことなのだが、どこかせつ菜から、虹ヶ咲から遠い存在になってしまっているのではないかと、寂しい気持ちになることも多々あった。やっぱり自分にとっての原点は優木せつ菜で、せつ菜を演じているともりさんが一番好きだから。しばらくしたら、もうそこには二度と帰ってこなくなるという現実を直視できなかった。

しかし、ともりさんのこの決断は、自分のためでもあるが、せつ菜のためでもあると僕は解釈している。

「私が動けないと、せつ菜が動けないように見えてしまう」

前述の5thライブでのこの言葉がどうしても離れない。このまませつ菜を終わらせてはいけない。そんな強い覚悟を感じた。これまで、誰よりもせつ菜の理解者で居続けたともりさんが決断したことだから、それが一番正しい選択に違いないと思う。

虹ヶ咲学園ユニットライブ「AZUNA LAGOON 」は優木せつ菜としてのともりさんの最後のステージ。Day1だけ参加できることが決まって、本当にうれしかった。しかも、情勢が変わり、開催の数日前に声出しが解禁されることになった。お蔭様で当日は精一杯大好きな気持ちを伝えることができた。自分でもこんなに大きな声が出るんだとびっくりしたくらいだ。僕が虹ヶ咲を知った時には世間はコロナウイルスの影響で声出しができず、大好きをもらってばかりだった。だから今回、それまでの分も含めてすべてお返しする気持ちで声を出した。

「強く願い込めた歌を あの空までほら届け!」

そんな想いを込めて叫んだ。一切の後悔がない。大好きな気持ちを大切にすること。それはせつ菜が教えてくれたことだ。ともりさんの見た景色・聴いた音に、0.00001%でも僕が存在できていたのなら、それだけで幸せだ。

ともりさんの演じるせつ菜が好きで、せつ菜のいる虹ヶ咲が好きで、虹ヶ咲を好きな自分が好きだと今ならいえる。つい1年前まで、何をやっても中途半端で、何かに熱中することなんて本当になかった。そんな僕が、ここまで何かに没頭できたのは、あの日、一時の気まぐれで参加した4thライブで、自分にできる精一杯をやり遂げたともりさんの姿を見たからだ。虹ヶ咲に出会ってからのこの1年は本当に楽しかった。人生に新たな色が増えた。「夢見るたび、色が増えていく」その夢を見させてくれたのは、優木せつ菜と楠木ともりだった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?