迷走の50点を褒めたい Xデザイン学校ベーシックコース#10
今日が最終回。
体感では3年くらいやっていた気がする。
たった10回だったのか。
黒歴史を噛み締める
#1のnoteを読み返してみる。
もじもじした40代、きついな。
微塵も理解していないくせに、無理やり知っていることとの共通点を書いている。
虚勢、きついな。
さっそく黒歴史と化しとるやんけ。
恥ずかしさのあまり、下書きに戻そうか迷った。
でもあの時は、間違いなくこれが自分の精一杯だったんだなあと。
今日の私の姿を思い描けるはずもなく。
(腸炎になってめっちゃしんどい最終回になったことも、思い描けるはずもなく)
最後のリフレクションで、自分の学びに100点満点で何点をつけるかという質問があった。
悩んだ末、50点とした。
何をわかっていなかったのかがわかったこと。自分の得意なことと不得意なことがわかったこと。このふたつで50点。
かろうじて理解したことを、発表という形では全くアウトプットできなかったことが、マイナス50点。
アウトプットできていない段階で0点かなあとも思ったのだが、頭が硬いのもセンスがないのも元々だし、頑張ったことは褒めてやらないと。
「山を登る」という表現をこのシリーズのnoteで何度か書いた気がするが、登っているようで、多分樹海を彷徨っていたんだと思う。
私に向いた登山コースはここで、ここから登ってみたらいいのでは。
今ようやくその登山口に立っている気分だ。
(それも違うかもしれないが、それはそれでいいんだ)
10か月の迷走の軌跡
修了書をもらう時って、もっとこう免許皆伝みたいな、「私、これできますから」ってさっそく実務でドヤっちゃうような、今思うと大変頭の悪いイメージを持っていた。
この10ヶ月間を思い返すと。
こんな経過を辿った気がする。
何がわからないのかもわからない
↓
言われていることの意味が、ぼんやりわかる
↓
やろうとしても崩壊する。どこができていないかもわからない
↓
どこができていないかがわかる。でもなぜできないのかがわからない
↓
なぜできないのかが、ぼんやりわかる
ちなみの最後の「なぜできないのかが、ぼんやりわかる」が最終回までの1週間だ。
我ながら進化の遅さにびびるが、仕方ない。
もちろんこのすべての過程において、「だーから、違うんだって!」と浅野節が投下され続けている。
もし序盤の授業動画を見返す機会があったら、浅野先生はずっと同じことを言っていたであろうことは、流石にわかる。
「仕事ではないところで失敗することが大事」と浅野先生からは言われたが、理解の悪い私には、加えて「ずーーーーーっと失敗し続けたこと」も大事だった。
なんでなんだろ?と考え続けてようやく辿り着けるものなので。
なぜできないのか
で、今日たどり着いた「なぜできないのかが、ぼんやりわかる」。
私なりの結論は、
概念化力が弱い
人と事業の本質を見る目が弱い
そのための興味と行動が足りない
この三つかなあと。
どれもnoteで少しずつ書いてきたことではあるけれど、手を動かして発表案を作って失敗した上で振り返ると、実感を伴って理解できる。
と、ここまで書いて、初回の授業資料を見返してびっくり。
「何を学べば良いのだろうか?」と題したスライドに、1&3と似たことが書いてある。ははははは。
結局、最初から最後まで、概念化
特にやはり、概念化だなあ。
自チーム含め、他チームの発表を聞いていて、「ビジネスリサーチはその通りなのだけれど、解決策が・・」という講評がいくつかあった。
今まで、「課題を指摘するのはできるが、じゃあお前やってみろと言われるとできない」はメディアの特性だと思っていた。
課題を指摘すること自体が本業の一部なので。
どうやら他の職業の人たちも、そんなに得意ではないらしい。
今日の浅野先生の指摘。
「たとえばワーママの困りごとを聞いたらそれを直接解決しようとする。本質的なことはなんだろうって、もっと広い人に当てはまるものを考えないと」
こういう「ユーザーインタビューからビジネスを考えるからスケールしない」という言葉は、10ヶ月間、何度も言われてきた。
なのにできないのは、概念化の回路ができていないから。
「よし、やろう!」と思っても繋がっていない。
概念化とは無縁な本業で忙殺され、「できないなあ」で佇んでいた時間が、あまりに長かった。
ビジネスの課題もユーザーの課題も概念化できず、なので良いアイデアも出ず。
正直最後の発表は、手詰まりなのをわかった上で話す、苦々しさがあった。
大好きな「ゆる言語学ラジオ」のMCは、二人とも抽象化力がえげつない。
あるエピソードを聞いたら「それはこの話と同じ構造では」と即座に全く関係のないエピソードを持ってくる。
哲学、漫画、偉人の小ネタ、ことわざ、うんちく、言語学理論。
組み合わせは融通無碍。
あの二人のいいところは、「その通りだ素晴らしい」と、尊敬されたくて話しているわけではないこと。正確性も求めていない。
何かを生み出さなければという義務感にも駆られていない。
「それは流石に無理があるやろ」「ただの深読みおじさんだろ」とお互いにツッコミながら、楽しげに思考実験をしているのが、いい。
抽象と具体の行き来は、本来それだけで楽しい頭の使い方なのだと教えてくれる。
まず私にできる概念化って、こういう積み重ねなんじゃないかな。
ビジネスとか、ユーザーとか構えずに。
そして、それなら楽しそうだ。
儲かりたいのに、儲かる仕組みを見ない
今日の授業後雑談の終わりぎわ、浅野先生から「原田さん、今日は実体経済と金融経済ね」とリクエストをいただいた(やっと書きます)。
収益モデルを考える時に大事な視点として「実体経済と金融経済」の話があった。
まず先生の話をそのまま書くと。
ものを作って売って収益を上げるのが実体経済。
お金のやり取りで収益を上げるのが金融経済。
金融経済の中でも、銀行のような間接金融ではなく、投資のような直接金融の動きが日本では弱いという話。
実体経済はコツコツ稼ぐパターン。
バーンと大きな利益は得られにくい。
対して直接金融は、ビジョンを示して投資を集め、大きく買ってもらう出口戦略。
生馬の目を抜く世界ではあるが、利益は大きい。
そして、こういうスタートアップ的考え方を日本の企業はなかなかとらない、という。
これ、前回書いた「ビジネスリサーチで、お金の流れの基本が分かってなかったのでは」という振り返りにも通じるような。
「非連続な成長をしないと死ぬんですうちの会社」
「めっちゃ儲けたいんです」
と売り上げ十倍な目標を掲げつつ、「めっちゃ儲けてる人」の思考・行動パターンは無視しているということだろうか。
例えば、ある大学に受かりたいとして。
「毎日10時間頑張って勉強をすれば、少しずつ賢くなれるから受かるはず」と気合を入れるよりも、「その大学の過去問題から出題者の傾向を分析した方が早いんじゃないですかね」と同じだろうか。
世の中を成り立たせている仕組みをインフラと呼ぶとして。
最重要要素のお金は、いま誰がどういう理屈で動かしているのか。
そのトレンドがどう変化しているのか。
そういう世の中の仕組みがわかった上で、モノづくりがいいならそうすればいいし。
知らずに「なんで儲からないんだ」というのが違うんだろうな。
やっぱりこれは、「人とは何か?」と同じで「ビジネスとは何か?」の洞察の一つなのでは。
自分だけの資料を作ろう
授業で何度か、浅野先生がビジネスを考えるときの「判断基準12項目」を示してもらった。
今、あれの自分バージョンを作っている。
「人とビジネスの本質を洞察して、事業モデルと収益モデルをデザインして、ユーザー調査をして、シナリオを作ってプロトタイプを作って」
この授業でやった全てをやると、理解の悪い私では来世までかかるので、まず集中するのは「人とビジネスの本質を洞察すること。特に人」と決めた。
(それでも十分大変なのだが)
ユーザー調査以降は実務でもできるとは思うが、同時にできるほど器用でもない。まずやるべきは、見ること、考えることに絞りたい。
儲かる仕組みを考えるのは向いていないので、一旦置いておく。
とした時に。
膨大な授業資料から、今の私にとって大事なところを抜き出して、再編しようかなと。
もしこの先、少しでも山を登ることができたとしたら。
その時見えた景色をもとに、違うページを編集し直して、その時の私に必要な資料に作り直すのもいい。
そして。
意志の弱い私のこと。
ここに書いただけでは実行しない。絶対に。
1年前、えいやとXデザイン学校に飛び込み、強制的に学ぶ環境を作ったように、次の「えいや」を決めた。
「なんかキャリア行き詰まってるなー」というふんわり焦燥から始まったミドルエイジクライシスの足掻きは、まだまだ続く。
でも、確実に、楽しくなっている。