花子の物語(祖母の記憶)昭和の代8
応援コメントありがとうございます。やっと再会です。
久しぶりですが、↓↓↓これの続きとなります。
妹シマと留吉を亡くすと、こんどは花子が肺結核を患うようになりました。
働けなくなった花子は、コウ(養子、妹シマの長男)に家族の生活費を得るために、給金前払での奉公に出てほしいと頼みます。
また花子は、ゆくゆくはコウとセツを結婚させて、家の安泰を目論んでいました。
コウは、快く花子の頼みをきいて、奉公に出ました。
私生児として生まれ、妹、弟と生まれることで立場が変わり、養子に出されたコウ。
大人たちの感情(勘定)に振り回されてきたコウ。
決して、自身の思いや計画を面に表すことなく、生きてきました。
しばらくの生活費を手にした花子は、とても安堵して喜んでいました。
ところが数日後、コウは突然、奉公先から姿を消したのでした。
コウには、製糸工場で共に働いていたハルさんという、結婚を誓った相手がいたのです。
コウは、ハルさんと2人で駆け落ちしていきました。
コウの奉公先から連絡を受けた花子は、前払いで頂いた給金をすべて返し、途方に暮れながら帰ってきました。
困り果てた花子を目にしたセツは、意を決して働きに出ることにしました。
セツは学友と一緒に高校へ進学して1年が過ぎていました。
この頃のセツの夢は、英語を話して、ゴルフ場のキャディーになることだったそうです。
泣く泣く退学したセツは、製糸工場へ働きに出ました。
母と妹を養うために。
学業を諦めたこの時期のことは、セツにとっては、人生の中の大きな後悔事項であったらしく、これも花子とセツの確執の一つとなっておりました。
それから5年。
トミも中学を卒業すると製糸工場に働きに出るようになりました。
この頃になると、花子の体調もよくなり、少しづつ働けるように。
夫のユタカさんの恩給ももらえるようになると、コツコツ蓄えるように。
家族3人でコツコツ蓄えたお金で、街場に土地を求め、留吉亡きあとの財産
を渡した花子の父の本家から間伐材を貰って、小さな掘立小屋のような家を建てたのでした。
こうして花子は、昭和34年に念願の家を手に入れたのでした。
コウの後日ですが。。
夜逃げしたコウとハルさんは、15年後に、5人の子供を連れて近況報告に花子の家にやってきました。
花子は、子どもたちやハルさんに囲まれて、幸せにしているコウを見て、
とても喜んでいました。
コウがハルさんと駆け落ちするのに、どれだけ準備したのかは不明です。
ハルさんも工女だったので、手持ちは少なかったと思います。
花子は、ほとんど裸一つで飛び出したコウが、ちゃんと生きていたことに、
安堵したのだと思います。
その後コウは、家を建てると花子と花子一家を自宅へ招待しました。
また、花子が亡くなるまで、盆と暮れには必ず贈り物を欠かかさず。
こうして、花子とコウの突然の別れは、幕を閉じました。
今回は、コウとの別れと家を建てたまでのお話でした。
続きは、また次回です。
おばあの実話をもとに、憶測や妄想などでつないで書いています。
ただの想像作品ということで、ゆる~く、お許しください。
貴重なお時間を、誠にありがとうございました。