【麺随想】いちいち考えの足りないラーメン屋(後編)
前編はこちら。
3.限定メニュー「太まぜそば」
2021年初春。
僕が例の店に初めて訪れてから、約8か月。年が明けても、コロナ禍は依然世に根強く留まっていた。
比較的寒さ穏やかなある日、いつも通り、ランチ放浪中の僕であったが、何となく気が向いて、あの店の前まで自転車を走らせた。
入口ドア横の窓ガラスに多くのPOPが貼ってある。開店してすぐは、それほど多くなかったが、日が経つにつれ、だんだんと多く貼られるようになった。
そのPOPの一枚に、僕は目を引き付けられた。
「数量限定メニュー 太まぜそば 850円」
期間限定メニューの案内であった。
店主の(恐らく無自覚と思われる)考えの足りない言動によって、腹に据えかねるような経験を味あわされた僕だが、それでもこの店へたまに足を運ぶのは、一つにラーメンの味、もう一つには、この期間限定メニューの存在のゆえであった。
こちらの店主、なかなかラーメンに対してはチャレンジングであるらしく、まだ開店して1年未満であるにもかかわらず、すでにつけ麺や冷やし系など、数種の期間限定メニューを販売していた。そしてどれもなかなかに良い味だったのである。
僕としてはこの期間限定メニューが気になってしまい、店頭まで足を運ばされているようなところもあった。その点から考えると、こちらの店主には意欲的に客を呼ぼうとする側面もあるようだった。
さて、今回の限定メニューである。
POPを見たところ「太まぜそば」というメニュー名と、価格以外のことは何もわからない。
だが、この店にはレギュラーメニューとして「まぜそば」があり、そちらは「台湾まぜそば」を意識した一杯である。それに近いものをより太い麺で食べさせるのかな……と推測はできた。
いずれにせよ、興味がわいた。今日のランチをゆだねてみることにした。
入口のドアを手で開ける。以前はボタン式の自動ドアであったが、故障のためだろう、いつからか手動で引き戸のように開けるようになり、そのまま運用されている。もともと自動のドアを手動で開けるので、非常に重い。エアコンはすぐに修繕できても、こちらの修繕には手が回らないようであった。
先客はやはり、いなかった。
入ってすぐ右死角にある券売機、「限定メニュー」と書かれたボタンを押し食券を購入する。
カウンターに腰掛け、店主に食券を渡す際に、
「どんなメニューですか?」
と聞くことも考えられた。
だが、生来の人見知りと麺に対する好奇心が僕の口をふさいだ。
どんな麺が出てくるか、知らずに待つのも一興ではないか。
何も問わずに店主に食券を渡す。
「はい、限定一丁!」
店主が元気よく、そう告げる。
ささやかな期待に胸を高鳴らせ、僕は数分の間を待つのであった。
「お待ちどおさまです、限定です!」
僕は、やや興奮しながらその鉢を覗き込んだ。
具材の隙間から見える麺は確かに「太まぜそば」の名にふさわしく、極太のやや平打ちストレート。
だが、麺よりも先に目に入るのは、具材である。
かなり大ぶりにカットされたチャーシューは、豚肉の塊ともいえる大きさのものである。それがゴロリと二つ入っている。
そのチャーシューの下には、大量のもやし。うずたかく山のように積まれている。もやしの間には少量のキャベツも混ぜ込まれている。その横にはメンマも配される。ところどころに白く小さな塊も散見される。おそらく豚の背脂であろう。
そのようなインパクト抜群の一杯にあって、僕の目を最も付けたもの。それは鉢の端っこに盛り塩のように積まれたアイボリーカラの塊であった。
刻みニンニク――。
このヴィジュアル。それは、見紛う事なき二郎系(注1)の汁なしであった。
やられた――。
僕は、勤務中である。
コロナ禍における生活様式としてマスクの常用が一般的になったが、これほど多くのニンニクを摂取すれば、さすがにマスク外にニンニク臭が漏れ出してしまうことは必至と思われた。職場の同僚にも匂いの害が及ぶだろう。僕のようなオフィスワークの人間についてはなおさらだ。
どうするか。僕は思わず腕を組んだ。食べると匂うし、でも、麺は目の前にある。うーむ……。
悩みつつも僕は思う。それにしても、である。
それにしても、昼時に訪問する客については、いまの僕と同じく仕事中という人も多いであろう。もちろん好奇心にまかせ、先に確認しなかった僕も悪いのだが、この点について店主から説明があってもよかったのではないかな~、などと思ってしまうのである。
そういえば、POPを見ても写真もなかったし、説明もなかったしな~。やっぱりちょっと一言あってもよかったよな~。
タレとニンニクの混ざったコクのある香りに食欲を十二分に刺激されながら、そんなことをグチグチと考えてしまう。
ただ、真面目に意見するならば、二郎系の一杯というのは、作り手が客に対してトッピングの直前に、「ニンニク入れますか?」というような、何らかの問いかけを行うのが常なのだ。
客はその呼びかけに対し、トッピングのカスタマイズを依頼するわけである。ヤサイチョイマシニンニクマシマシアブラカラメ。
この一杯が二郎にインスパイアされていることは明らかだ。であるならば、やはりその点についても追従するべきだろう。もう一歩踏み込んで考えてもらいたかったところである。
それはさておき、目下の一杯である。後のことを考えれば、盛られたニンニクを半分ほどつまんで、それをティッシュの上にでも除けておくか。少しお行儀は悪いが、職場の人への配慮としては、それが正解である気がした。
だが、そこは麺好きの性である。
店主はニンニクだけに限らず、麺、タレ、具材など、様々なバランスを調整した上で、ベストの一杯を提供しているはずである。そう信じたい。食べ手としては、その店主が作り上げた一杯を、小細工を排し、余すところなく味わってみたいと思ってしまうのである。あと、僕はニンニクが大好きだ。
ええい、ままよ――。
僕は意を決して、その鉢の中身をニンニク山盛りのまま、混ぜ込み始めた。いわゆる「天地返し」の要領で上に盛られた具材と下に鎮座していた麺をひっくり返すように混ぜる。そうすることで野菜や豚にまで底に沈んでいたタレがからむ。この時に刻みニンニクもタレへと混ざり込み、麺と具材の全体に馴染んでいく。こうしてタレとニンニクと脂分と具材と麺が渾然一体となった、世にもジャンキーでエナジーあふれる一杯が出来上がる。
飛びかかるように麺をつまみ上げ、啜り上げる。
ガシッとした麺の触感、野菜のザックリとした触感、タレのやや強い塩味、脂のコク、ニンニクの鮮烈な旨味…。こういったものが代わる代わる、あるいは溶け込みあいながら、口内を駆け抜け、爆発する。
美味い、美味い。掛け値なしに、美味いまぜそばである。
麺量は目測で220~250gというところだろうか。汁そばとして考えるなら、大盛りといっていい盛りの良さだ。ただ、二郎系としては、標準、あるいは少なめといっていい部類である。その麺が、次々と僕の口腔内へと吸い込まれ、咀嚼され、咽喉の底へと消えていく。
結局は、糖と、脂と、塩分か――。
難しい理屈を要さない、問答無用の美味さに陶酔する。
瞬く間に鉢が空になった。
大変な満足感であった。やはり、ニンニクを減らさなくてよかった。このパワフルな一杯は、相当量のニンニクがあったからこそ、その魅力を発揮できたのだという確信があった。自身の麺センスを褒めてやりたかった。
だが、麺の愉悦へと身をゆだねたツケは、確実に僕へと襲い掛かっていた。店外へと出た僕は、小春日和の穏やかな風に吹かれながら、マスクの奥に充満するアリシン由来の刺激臭を存分に感じ取っていた。
これは、バレるな……。
果たして、僕はその後の数時間、オフィスでいたたまれない思いをしながら過ごしたのである。
「西谷さん…お昼ニンニク食べられました?」
「ええ……。」
「そうですか…。結構…。」
「ええ…すみません…。」
女性職員の指摘にデスクで小さくなりながら、僕の頭にはさっき食べた太まぜそばの味や、アイーン店主の顔や、後先考えず麺の魅力へと浸ってしまった自分への羞恥などが次々と巡っていった。だが、最後にはあの爆発力あふれる一杯の残響が脳内を満たした。
美味かったなぁ。
次はニンニクスクナメでコールしてみようかなぁ。
身の置き場ないオフィスの中で、麺の余韻に浸る。なんとなく捉えどころのない昼下がりであった。
4.「ワンタン」の謎
不意打ちの限定メニューで気まずいながらも印象的な午後を過ごしたあの日から、2週間ほど。
過日とは一転して寒風吹きすさぶ午後2時であったが、僕は溌剌とした気分で例の店を目指していた。
しばらく間を空け、再びあの「太まぜそば」への欲求が高まったところで再度店を訪ねることにした。限定メニューだけに、もう販売が終わっているという懸念はあったが、僕はいそいそと店へ自転車を走らせた。
店の前に到着。自転車を止め、店前面の窓ガラスを見る。そこには「限定メニュー 太まぜそば」のPOPがまだ貼られていた。
まだ、あった。僕は安堵した。さらに気づいたことには、そのPOPの下に、前回見たあの実にジャンキーな一杯を真上から撮り下ろした写真が追加で貼られていた。やはり、あまりの情報の少なさを誰かに指摘されたのだろうか。なんにせよ、これでどのようなメニューなのか、格段に把握しやすくなった。
さあ、では店に入ろうか。嬉々として歩みを進めた僕だが、あるものが目に入って、それに意識を向けることになった。
POPが貼られている反対側、入口ドア横の柱に紐がついた白木の板がかけられている。かまぼこ板よりは一回り大きいが、細くて薄い板である。その板にマジックペンを使ったと思われる手書き文字で、「ワンタン」と書かれているのだ。
ワンタン……?
すでにその時までに10回近く店へ来ていたと思うが、この店でワンタンを食べたことはなかったし、むろんワンタンメンも食べたことはなかった。
新メニューなのだろうか。いや、しかし限定メニューはPOPで掲示しているのに、なぜワンタンに限って掛け板なのだろうか。そもそもメニューの一部のみを入口横に板で掲示するなどというのは、見たことがない。
だが、僕がすでにその板へと釘付けとなっているように、人の注目を集めるやり方には違いなかった。それを見越してのことなのだろうか。
あるいはもしかしたら、滅多にお目にかかれないような特別なトッピングなのだろうか。この掛け板が出ている時だけに食べられる、スペシャルトッピング。それが「ワンタン」。常連はそれを知っていて、常日頃からこの「ワンタン」板がかかっているかどうか、店の前を通るたびチェックせずにはいられない…。
いろいろ考えてみるが、やはり不自然だ。謎は深まるばかりである。
ただ、僕の中では最後に考えた「ワンタン=スペシャルトッピング説」が、最も真実味があるように思えた。
もし、「ワンタン」をトッピングするとなれば、汁なしよりも汁そばの方がよいだろう。今回は「太まぜそば」を見送ることになるが、「醤油ラーメン」あたりを食べることにするか。
いずれにしろ、店内に入れば何らかの「ワンタン」要素があるはずだ。僕は予定の変更も辞さない覚悟で、もともと自動ドアであった重い引き戸を開け、店内に入った。
「いらっしゃいませ!」
アイーン店主の元気な声を背に受け、入ってすぐ右の死角券売機に対峙する。
ワンタン、ワンタン……。
券売機のボタンに「ワンタン」の文字を探すが、無い。あるのは、チャーシューやネギなどの別トッピング、ミニ丼などのご飯もの、ドリンクなどであった。
……。
もしかしたら、ラーメンメニューを注文すれば、標準でワンタンが入っているのであろうか。
可能性はごく低いように感じたが、それに賭けてみたい気持ちがあった。また、先ほど「醤油ラーメン」のことを考えた影響か、すでに僕の心の大部分を「醤油ラーメン」が占めつつあった。
券売機の最も左上部にある「醤油ラーメン」ボタンを押す。食券を持ってカウンターへ。
「醤油ラーメン、いっちょう!」
アイーン店主の元気な声が僕以外に誰もいない店内に響く。
「ワンタン入ってるんですかね?」
僕がコミュ力高い系男子であればその時に聞くことができただろう。しかし、ラーメンを作るためにさっさとカウンター奥に引っ込む店主を引き留める無邪気さを、僕は持ち合わせていなかった。
「はい、醤油ラーメン、お待ちどおさまです!」
店主がラーメンを僕の目の前に置く。僕は、すかさずそのラーメンを覗き込む。
動物系の茶褐色に泡立つスープ、大ぶりなチャーシュー2枚、青ネギ、メンマ…。
……。
ワンタンは、入っていなかった。
やっぱりな。と僕は思った。
なんとなくではあるが、これまでのこの店の来し方を思うと、ワンタンが入っている可能性は、かなり低いのではないか、という気がしていた。5分間ラーメンを待っているうちに、どんどんそういった気分が増してきたのである。
案の定、でありながらも、若干の落胆を味わいながら、なんとも落ち着かない気分でラーメンをすする。うむ、やはりこの店、味は悪くない。良い味である。その良い味のラーメンを食べながら、改めて「ワンタン」のことを考える。じゃあ、あの掛け板は何だったのだろう。店内にワンタンの存在につながるものはない。何らかの手違いであそこに掛けられたことは明白である。いったいどういう経緯でそうなったのか。何をどう間違えたらメニューにありもしない「ワンタン」という板を店前に掲げることになるのか。
ラーメンを食べ終える。店主はカウンター奥の調理スペースに引っ込んだままである。
「あの、『ワンタン』ってなんなんですかねえ?」
奥のスペースにいる店主に対して、そのようなことを大声で問い合わせる図々しさを、僕は持ち合わせていなかった。「ごちそうさま」と独りごちるようにそう言い残し、店外へと歩み出た。
「ワンタン」
やはり、店外に出ても、掛け板は厳然とそのカタカナ4文字を記載してぶら下がっていた。僕の見間違いではなかったのである。一体何なのだろう。結局、わからずじまいである。
…まあ、いいさ。この店のやることだ。考えるほどのことでもないのかもしれない。なにかと間違えてあの板をかけた、とか。
ん…?
何かと間違えて…?
別の板と間違えた…?
あ、そういえばあの板のかかっている位置って…。
自転車にまたがりながら、そんなことを考えた時であった。厳しい冷気を含んだ2月の風が、瞬間的に強い風となって僕の周囲に吹きつけたのである。
その突風は、枯葉を巻き上げるとともに、例の「ワンタン」板をも吹き上げた。壁に打ち付けられた金具に紐で吊るされた板は、風にもてあそばれ金具を支点としてクルクルと回転し、やがて「ワンタン」と書かれた裏側の面を露出して再びぶら下がった。
そこに書かれた三文字の漢字を見て、僕はすべてを悟った。
「ワンタン」の裏面に書かれた文字、それは、「営業中」の三文字であった――。
なるほどな。なるほど。
わかってみれば、バカみたいな話である。以前の商売か、知人の店で使っていたメニューの掛け板を、「営業中」の板として再利用したということだろう。たしかに掛かっている位置を考えれば「営業中」の掛札があって然るべきである。
拍子抜けしたような気分を味わうと同時に、僕は実に冷めた気分でこの事実を観察していた。
おそらく、この店はもうダメであろう。
これまでも前述のように、店主の「考えが足りない」ファクターを種々見せつけられてきたわけだが、僕としては、まだ可愛げのある、うっかりミスぐらいの出来事に思えたものである(その都度それなりに憤りを感じはしたけれど)。
だが、今回の事実に関しては、これはもう致命的に配慮が足りない事象に感じた。だって、看板だもの。看板は、まさに「看板」で、客にその店の認識を促す第一歩といえるものだろう。そういう大事な要素について、これほどまでに軽率な取り扱いを行っている。いよいよこれは致命的だ、と感じずにはいられなかった。
例えばこれ、裏面が「ワンタン」だから、僕も店に入ったのである。だが、裏面が「準備中」と書かれていたらどうだ。それがこのワンタン板のようにペラッペラの板で、簡単に裏返るようなものだったら知らないうちに「準備中」掲示となって、わざわざ店を訪れた客も、次々と帰ってしまうことになるだろう。あるいはすでに「ワンタン」と書かれた板を見て、「なんじゃこりゃ」と帰ってしまった客もいるかもしれない。
ここの店主には客に来てもらおうということに対する考え、配慮、気配りが致命的に足りないのである。
そんなことを考えると、なんだか無性に腹が立つのを感じた。この店には今回をあわせて過去4回「考えが足りない」仕打ちを受けているのだが、今回が一番の憤りを感じていた。僕が受けた実害としては最も軽いものだったかもしれないが、店主の考えの足りなさについては、今回の「ワンタン」看板のことが最も重いものであるように思われた。それが僕の感情を激しくかき乱しているようだった。
寒風吹きすさぶ中、自転車で職場に戻りながら、改めて思う。あの店は、もうダメだろう。早晩、立ち行かなくなるに違いない。確信めいたものがあった。
そんな確信を抱くと同時に、難しいものだな、という思いも頭の中を駆け巡った。
しつこいようだが、ラーメンはなかなかにイケるのである。ラーメンだけを取り上げれば、美味い、といえるものである。だが、それ以外の要素に様々な瑕疵が見て取れる。すると、あのような有様になるのである。訪問する時間がいつもピークタイムを過ぎているとはいえ、少なくとも僕はあの店で他の客を見たことがない。ネットでのレビューも少ない。とてもじゃないが繁盛とは言えない状況であろう。
そのように考えれば、なんだか実に教訓めいた話だという気もしてきた。
結局はヒトなのだ。モノが良くても、ヒトに問題があれば、何もうまくいかないということなのだろう。
2月の冷たい風が僕の頭を存分に冷やし、感情を沈着に仕立て上げていく。そして、今感じ取った教訓を心の隅まで染み渡らせてゆくようであった。
十分な経験を与えてくれた場所だが、もう、あの店には行くことがないのかもしれない。なんとなくそんなことを思いながら、職場への道を急いだ。
おわりに
あれから2年がたった。2023年である。
例の店は「ワンタン板事件」後も粘り強く営業を続けていたが、今年の早い時期に閉店した。
前項で「もう行かないかも」なんて思っていたが、あの後も限定メニューを狙って何度か店を訪れた。やはり自動ドアは手動ドアのままだったし、券売機の位置も変わらなかったし、他の客を見ることもなかった。「ワンタン」の板は、次に店を訪れた時には既製品らしき黒い「営業中」の掛札に変わっていた。
そしてある日、何か月かぶりに店を訪ねてみたら、シャッターに貼り紙が見えた。静かに、閉店を知ることになった。
ここまで読み返してみれば、店主に対してやれ「考えが足りない」だの、「致命的に配慮がない」だの、好き勝手書き連ねてきたが、じゃあ書いているお前はどれだけちゃんとした人間なんだ、と自問してしまいたくなる。
僕とて人様の失策や失態を偉そうにあげつらえる人間では、全くないと自負している。今でこそ少しは気も使えるようになった気もするが、30代まではデリカシー云々という言葉でもってお叱りを受けることしばしばであった。ついでに言えば、職も転々としたし消費者金融で3桁の借金もした。どちらかといえば考え足りない系人間の典型といったところであろう。
僕自身がそういった人間であるだけに、この数年間の一連の出来事が、ことさら心に残ったのかもしれない。アイーン店主の無配慮な振舞に憤りを感じつつも、自身との共通点を見出し、教訓を得ていたのではないか。
アイーン店主もまた、店を閉めたとはいえ今後の人生がある。ラーメン店経営で得た糧をもとに、また仕事をして生きていくことであろう。
そう考えれば、あの店で味わった経験も、悪いものではなかった気がする。一軒のラーメン店、一杯のラーメンが、ある者の人生に影響を与える。そんなことの一側面を、あのラーメン店で体験することができたのかもしれない。
彼の人生が、これから開けていくことを願うし、僕もますます善く生きていかなければならないな、と思うのである。
ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。
(注1)二郎系……東京都港区三田に本店を持つラーメン店「ラーメン二郎」のラーメンを範として提供されるラーメンや、そのラーメンを出す店を称する表現。とりわけ、「ラーメン二郎」本店・支店とは直接の関係がない、ラーメン店を指す。ラーメンそのものとしては、麺が極太の「わしわし麺」、麺を覆い尽くすほどに盛られたモヤシ等の野菜、そしてニンニクや背脂などのトッピングを任意に選べる、といった要素をおおむね共通の特徴とする。