【麺随想】40分並んで出てきたつけ麺に対して、何をやっとるんだね、君は。
初夏であった。比較的最近のことである。
平日に休暇が取れた僕は、少し遠出をしてかねてより目をつけていたつけ麺を食べに行くことにした。
電車に揺られ55分。そこから歩いて15分。着いてみると、昼の2時前にもかかわらず、20人ほどの行列であった。さすが人気店である。普段はあまり、行列に並ぶことをしないが、その日はせっかくの訪問である。僕は歩道に沿って伸びる列の最後尾に並んだ。
僕の目前に若い男が並んでいる。20代前半とおぼしきその男は、スマホで声高に話している。
「単位が…」「あの先生…」「バイトで…」
断片的に耳に入る彼の会話から、彼がおそらく学生であることは、わかった。しかし、彼の声を聞くにつれ、そんな情報以上に、彼に対する漠然とした嫌悪感が僕の心を満たしつつあることを感じた。
なんだろう。なぜか、彼のことが好きになれない。声の端々から、根拠のない傲慢さのようなものがあふれ出ている。関西弁で言うと、めっちゃイキってるやん、というような不快な調子の良さを感じるのである。
今思えば、この彼に対する淡い嫌悪感は、その後に起こる出来事を暗示していたのかもしれない。
列に並ぶこと、30分弱。初夏ながらも、激しく降り注ぐ日差しが、今年の夏の厳しさを予想させた。そんな日差しを浴びながら、僕は彼の声を、内容の無い会話を、聞くともなしに聞いていた。彼と同級生になったとしても、多分友達にはなれないだろう。
程なくして、淡い嫌悪感の彼の通話が終わった。すると、それを待っていたかのように、彼が入店を促された。さらに間も無く、僕も店内に案内された。
店内でも10分ほど立って待つ。ようやく、席に案内される。嫌悪感の彼は右隣に座っていたのだが、その時にはもうすでに僕の心はつけ麺に支配されており、彼のことはもうほとんど頭の中になかった。
店外に並んでいる間に、店のスタッフさんが注文をとってくれていたため、席についてすぐに僕の分のつけ麺が配膳される。
艶のあるストレート太麺が真っすぐに美しく揃えられて鉢に盛られている。対するつけ汁は、見るからに粘度を感じる褐色の動物魚介系。トレンドをこれでもかとばかりに抑えまくった、見事に美しいつけ麺である。
さあ、いただこう。期待に胸膨らませ、麺を幾筋か手繰る。ふと、右隣の彼に目をやる。
そこで、僕は信じ難い光景を目にしたのだ。
僕よりも早く配膳されていた、そのつけ麺を、彼はスマホゲームに興じながら食べていたのである。
耳にイヤホンを突っ込んだ彼のスマホは、手帳型スマホケースのスタンド機能を利用して横に立てられていた。箸を持った右手で器用にスマホをタップしながら、時折、麺をすくい上げ、つけ汁にドボンと漬けて、ズルズルとすする。その間もスマホの画面から片時も目を離すことはない。
いやいやいや、何をやっとるんだね、君は。
そんな片手間で食べて、つけ麺の味がわかるんか?
皆さんには、タッチパネルで注文するタイプの回転寿司屋で、何を注文しようかなぁ、と画面を見ながら寿司を食べた経験はないだろうか。あれをやりながら食べた寿司の味というのは、驚くほど印象に残らない。意識が完全に画面や、次に食べる寿司のことに没入してしまっているのである。
それと同じことを、いや、それ以上の本末転倒を、彼はやらかしちゃっているのである。本来全魂を傾けて味わうべき、この美しいつけ麺を、他の些末なことに意識を削がれながら何となく食べているのである。これぞ本末転倒の極みではないか。
そのつけ麺の魅力を正しく味わうことが叶わなかった。それなら、彼自身が損をしただけのことである。それだけなら、まだいいのだ。あるいは、彼自身は損をしたことにも気づかないかもしれない。
しかし、あまりにも失礼ではないか。
この完璧なまでに均整の取れた美しさを持つつけ麺を生み出した職人に、非礼の限りを尽くしていることに気づかないのか。
このようなつけ麺を創り上げるまでに、そして、自身の店をこのような人気店へと押し上げるまでに、ご店主がいかほどの努力を重ねてきたのか、思いを巡らすことができないのか。
また、君がそのように片手間で時間をかけてつけ麺を食べれば、他の客がつけ麺にありつく時間もまた、それだけ延びていくのである。店の回転を悪化させるのである。そんなことすら分からないのか。
君のその行いで得をするものなど、誰一人もいないのである。可及的速やかに、その愚行を止めるべきである。
僕が受けた驚愕は、その時すでに憤怒へと変貌していた。
世が世なら、声高に叱責を浴びせ、散々な打擲を加えているところである。
だが、安心し給え。時は社会的規範の整った現代であり、僕にしても無礼討ちを認められた武士ではない。命拾いしたな、君。
机の上の麺が目に入る。
そうだ、こんな愚行の男にかかわっている場合ではない。目下の使命は、この端正な麺を味わい尽くすことである。
僕は数筋の麺を箸でとると、まずは何もつけずにすすり上げた。歯を押し返すような弾力を含む固さが、口内を心地よく刺激する。ふんわりとした、甘さを含む小麦の香りが鼻を抜ける。良い麺である。
つけ汁にくぐらせ、また一すすり。今度は力強い旨味をまとった麺が、口腔を荒々しく駆け巡る。美味い。総じて良いつけ麺である。視界の右端に彼の姿が目に入る
解せない。彼は引き続きスマホを触りながら、つけ麺をすすっている。冷静に考えても、理解に苦しむ。君は、わざわざ40分間、あるいはそれ以上の時間を待ってでも、そのつけ麺が食べたかったのではないのか? それほどまでに食べたかったつけ麺なのに、なぜそのように散漫な食べ方をするのであろうか?
あるいは、彼はその店の常連なのかもしれない。もう毎日のように来ていて、店の人とも気心が知れているので、そのようなある意味リラックスした状態でつけ麺を食べているのかもしれない。それほどの常連なら、このつけ麺も日常食になっているだろうから、意識を集中してまで食べるものと感じられないのかもしれない。それならば、感心できなくとも、納得はできる話である。
しかし、その線は無いように感じた。実際の常連さんとおぼしき男性が、カウンターに座っており、時折店主さんと軽い会話をかわしながら、つけ麺を楽しんでいたのである。
気さくな店主さんであるのだろうし、常連さん(とおぼしき男性)にしろ、打ち解けた様子でありながら、実に真摯につけ麺を味わっているように見えた。そう、常連とはかくあるべきであろう。その店の味を、あるいはその店を愛しているからこその常連なのであって、スマホゲームの彼のように、配慮に欠く振舞いをするものではあるまい。常連の可能性は低い。いや、無い。僕が決めた。絶対に違う。
いま、まさに、この瞬間にどうしてもスマホゲームをやる必要がある。そういうケースは考えられないだろうか。キャンペーンか。キャンペーンとかいうやつか。今日の何時までに、ここまでクリアすると、特典でガチャがどうのこうの、みたいなことがあるのだろうか。
あるいは、プレイしているのがオンラインゲームだとして、たまたま生き別れになった家族のプレイヤーと出会ってしまったとしたらどうだ? いま共にプレイしておかねば、次はいつ出会えるかわからない。なるほど、そうだとしたら彼に同情の余地も…
いや、ダメだ。全然ダメだ。なんだその理由は。ていうか、どうしてもゲームしなきゃいけないという時点で店に来るんじゃねえよ。列に並ぶんじゃねえよ。
やはり、彼の愚行に対する正当な理由など思いつくはずもないのである。君よ、速やかに己のスマホを閉じ、目の前にある麺とがっぷり四つに組み合って、その麺の素晴らしさを堪能すべきである。
もし僕が、彼のその悪辣な振舞いについて、指摘してみたらどうなるだろう。
彼は言うかもしれない。「どう食べようと、自由でしょ」と。
自由!
それが君の自由かね!!
君のその、本末転倒極まる振舞を自由と言うのかね!!!
君は本来心から楽しむべき対象を前にしておきながら、些事に目を奪われているのである。それを自由というなら、なんと狭小な自由であろうか。
いや、自身の理性をコントロールできず、かような愚行に身を落としているのならば、自由どころか、むしろ欲望に束縛されていると言って過言ではない。君は自身の欲望の、ひいてはスマホの奴隷である。自由などとは片腹痛い。
対する僕を見たまえ。僕は己の欲求に真摯な眼を向け、真に自身のすべきことを成しているではないか。そしてそのために、自身の積極的な意思で、自身の責任のもと、1時間以上の時間をかけ、ここに来ているのである。貴重な平日の休みであるにもかかわらず、だ。
実に、豊かな時間の過ごし方ではないか。
君のその狭小な自由に比べて、なんと雄大かつ豊潤な自由であろうか!
どれ、君に見せつけてやろうではないか。僕のこの自由の享受ぶりを。この僕が、つけ麺を味わうさま
そこで、僕はハッと息をのんだ。
麺がない。
あの、流麗に盛られていた麺が、鉢の中から忽然と姿を消していた。
そして、僕は口腔内で確かに感じていたのである。先ほどまで暴れまわっていたであろう、麺の名残を。
バカか。
僕はバカか。
そう、僕は脳内で右隣の彼を激しく批難しつつ、意識散漫のうちにどんどん麺をすすりこんでいたのである。そして、ちょうど全ての麺をすすり終えたところで我に返ったのであった。
どんな味だったか、食感だったか、全く印象に残っていない。覚えているのは、最初の一口のみである。
悔やんでも、悔やみきれぬ。何という浅慮。味わうべきものを味わえなかった、僕の稚拙。
そして、同時に激しい羞恥を覚えた。僕に、右隣の彼の行いを批判する資格があるだろうか?
湧き上がる怒りに翻弄され、本質を見失っていたのは、他ならぬ、僕である。何が自由であろう。感情に支配されていたのは、お前ではないか。ちゃんちゃら可笑しいわ。
恥ずかしくて、たまらぬ。
羞恥心に身をよじりながらも、その恥が、僕のあるべき姿を、取り戻させようとしてくれていた。
突き詰めれば、僕なのだ。
僕が、麺と、作り手と、どう向き合うか。それだけなのである。
そこに、他者が入り込む余地など、本来あってはならないのである。入り込むと、おかしな事になる。
いろんな人がいる。自分と相いれない人もいるであろう。理解できない行いをする者もいるであろう。仕方のないことである。自分とは違う人なのである。
だからこそ、自分に還るのである。自分の為すべきことを、最高の自分として行う。僕にできることは、これだけなのである。
スープ割を存分に味わい、席を立つ。右隣の彼は、今ようやく麺を食べ終わるところであった。相変わらずスマホは横に立てられたままだが、その眼はつけ麺の方に向けられていた。
店主さんに「ごちそうさま」と告げる。「ありがとうございました!」と元気な返答がある。店の引き戸を開ける。緑の香を含む爽やかな風が、吹き込んだ。
僕も四十を過ぎ、まだまだ未熟である。
勉強、勉強。麺道も、人の道も、果てしないものだ。
初夏にしては厳しい日差しの中を、しかし僕は、来店前とは全く違う心持ちで、軽やかに歩み出した。
次なるラーメン店を目指して――――。
ラボレムス - さあ、仕事を続けよう。