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空き家で思う

私が今住んでいるのは、海に面した横浜市金沢区。年中海からの風が心地よい住み良い街であるが、今日は冬らしい冷たい風が一段と強く吹き付ける。朝10時過ぎ、冷たい風を顔面に受けながら、セットした髪が崩れるのに悲しい気持ちになりながら、足早に大通りをただ歩く。

たどり着いたのは、私が所属する学生団体の活動拠点である空き家だ。かれこれ活動に携わり始めてから1年と少しが経つ。携わるといっても、何かをしているようで何をしているわけでもない関わり方で、ただいるだけというに近い。団体の運営は創設者の代表をはじめとする中心メンバーに任せきりだ。

この学生団体は、元々空き家だった家を地域のコミュニティスペースに改修して、そこを拠点に地域の人に向けたイベントを行う団体だ。改修費が少ない点や空き家の耐震性に不安がある点など将来に向けた懸念点も多いが、学生が一から手を加えて、ハコを作り、これまで何度もイベントを成功させてきた過程を近くで見ていると、人間が集団で何かを成し遂げる際のパワーを感じられる。

今日は“喫茶せとさんち”と題して、週一回でカフェスペースを開く日だ。空き家は大通りから細い路地を進んだ先にひっそりとある。大通りでは無機質な冷たい風が吹きつけていたが、細い路地に入った途端にその風は嘘のように無くなる。人通りも少なく、この場所だけ時間がゆっくり流れているようにすら感じられる。

11時。軽い掃除をして、看板を出すとオープンとなる。
昨日までクリスマスのイベントをしていた空き家は、その余韻が残っており、イベントのために、団体のために惜しい時間を使って準備に励んだ学生のことを思うと尊敬すると同時にやかんで温めたほうじ茶を心行くまで捧げたい気持ちになる。

そんなことを考えていると、代表が到着。代表は、ほうじ茶を捧げたい人物の筆頭で、この気持ちを上手く伝えたいという思いと、それを言葉以外に表現する方法が見当たらずもどかしい気持ちになる。
人と話すことがとにかく好きな代表。行きつけの飲み屋に入り浸って、それ以外では面識のない他の常連の人とも仲良くなってしまうようなコミュ力お化け(褒めてる)だが、人と話すことと、人と話す場所をコーディネートすることは別物で、それでも自分がやりたいと思ったことを成し遂げていく姿は等身大のカッコよさを持つ。

そんな代表と一言二言会話を交わしながら、卒論を進める。時折、これからどんな学生や地域の人がこの空き家に関わってくるのだろうと考えると、若干のワクワクがある。今日、この空間が心地よいと感じたのは、おそらくWi-Fiが通っていないからだと思う。スマホのデータ通信以外で、ネットに繋ぐ手段はなく、ある種のデジタルデトックスのような感覚に陥った。もちろんデジタル機器は存分に使っているので厳密には異なるが、常にオンラインで繋がっているのが当たり前の毎日の中に、ほっこり一息つくスペースが心の中にぽっかり空いた感覚だ。この感覚になったのは、部屋がストーブで温められていて気持ちの良い室温なのにWi-Fiが通っていないからだろう。

これから、この空き家がコミュニティスペースとして便利になっていくだろうが、どこかで便利になるなと思ってしまう自分もいる。
居心地の良い不便さは心に安らぎを与える。この感覚は現代社会を象徴するものであると思うし、そんな感覚を編み出してくる空間や環境を大事にしたい。ありがとう代表。

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