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あの頃の純粋さ
小学校を卒業する時、クラスで卒業論集みたいなのを作ったんです。
よくあると思うんですけど、将来有名になってそうな人ベスト3とかのコーナーがついてあるアレ。
その中のコーナーで、自分の好きな言葉をそれぞれ書きましょうっていう企画があって。
当時自分があんまり好きじゃなかった子がいて、その子が、そのコーナーで「昨日の自分を起えろ」って盛大に誤字ってたのを思い出しました(よく見てください、本当は"超"えろです)。
当時はダッサーなんて笑ってたんですけど、その間違いのおかげで、今でも覚えてますし、私自身「昨日の自分を起えよう」と日々思えて頑張れていることを思っていたら、自分はその子のことがそんなに嫌いじゃなかったなぁと思いました。
うるさくてわがままなお調子者で、学校でも大衆から好かれるタイプじゃなかったけど、心根は本当に優しい子だったなぁと思います。
確か、小4くらいの時は仲良かった気がする。
声が大きい所とたまに凄く感情的になる所は、自分との違いだったけど、小4の時はそんなこと何も気にせず仲良くしていて。
でも、小6の頃には明らかに疎遠になっていました。
この事実に、今の自分が確かに寂しさと後ろめたさを感じているということは、やはりそういうことなのだと。
前述した通り小学生の頃の彼は、感情的になることが多くて、人前で大声で泣いたり、低学年の頃は授業中に教室を飛び出して疾走したことも何度かありました。おそらく教師の間では、問題児として通っていたと思います。
そんな"疾走癖"も学年を上がるにつれて無くなっていき、明らかに"絡みやすい人"になりつつありましたが、子供たちの間では、疾走する奴としてのある種のネタキャラが定着していきました。
彼もそのキャラを嫌がってはないように思えましたが、小学校も高学年になると、少し浮いた存在になっていきました。
自分が先程後ろめたさと表現した、モヤモヤが残っていることから分かるに、自分は彼を少し敬遠してしまっていたことは認めざるを得ないです。
当時の私は多数派に合わせることしか考えていなかった。世間の評判などというくだらないものを気にせず、彼と仲良くしていたら、中学が離れたとしても今よりずっと仲の良いままだっただろう。
自分は、彼のあの純粋さが好きだった。
そして、そんな彼と仲良くしてた自分も好きだった。
彼のことを思い出しているなかで、浮かんできたのは、東京事変の「透明人間」という楽曲。
作詞した椎名林檎さんは、社会に毒されていない純粋な幼い子供を透明人間に見立てて、詩を書いています。
興味深いのは、歌い手の視点が、幼い子供の側にあるということ。
僕は透明人間さ
きっと透けてしまう
同じひとには判る
噂が走る通りは 息を吸い込め
止めた儘で渡ってゆける
噂が走る通りを息を止めた儘渡り続けたいものです。
苦しくて死んじゃうかもしれないけど。噂が走ってない通りもあるよという希望も感じられますけどね。
僕は透明人間さ
もっと透けて居たい
本当はそう願っているだけ
何かを悪いと云うのはとても難しい
僕には簡単じゃないことだよ
一つ一つこの手で
触れて確かめたいんだ
鮮やかな色々
本当は、純粋なまま、誰にも見つかりたくないけれど、実際には人に見つかるし、影響も受けると言いたいですかね、、?
「透明人間」なのに、「もっと透けて居たい」という矛盾は、「純粋さ」と「見つかりたくない(このままでいたい)」という両義性でもって緩やかに解消されていく、個人的にとても好きな部分です。
「鮮やかな色々」というのも、語彙力が幼い感じが、可愛くて、愛おしい。
恥ずかしくなったり病んだり
咲いたり枯れたりしたら
濁りそうになったんだ
自分が透明人間から濁ってしまった経緯をオブラートに示唆しているのが、優しくも儚い。
「でもまだ僕は濁っていないよ」と言わんばかりの明るい曲調と相まって、自分もあの頃の透明な気持ちを思い出すことを後押ししてくれているように感じます。
今夜は暮れる空の尊い模様を
真っ直ぐに仰いでる
明日も幸せに思えるさ
またあなたに逢えるのを
楽しみに待って
さよなら
純粋な子供は、濁った大人よりも早く寝ると文面上は解釈できると思いますが、自分には、あの頃の純粋な自分の思い出に暫しの別れを告げられた気持ちです。
あの頃の純粋な自分を、彼を、思い出せば、暮れる夕闇も「真っ直ぐに仰いで」いられると感じます。
自分が大好きな曲です。引用していない箇所も、子供っぽいけれど自分には無い純粋さが表現された、素敵な歌詞なので聴いたことがない方は是非。
では、いつかの"透明人間"に優しく別れを告げられたところで。
彼も頑張っていると信じて頑張りましょう。