プランBは悪い選択ではないのではないか?
人間の欲望はとどまることを知らない。だからこそ欲望を先鋭化するために何かを捨てる必要があるように思える。
この前までマレーシアに居た気がしたが、もうそこにはいられなくなるらしい。そのまま東京に帰るわけだが、最近思ったことがある。それは壮大な目的は持つべきか、地道にいろいろやった結果が凄ければいいのか?後者は正直あほらしいことを言っていることは間違いない。
ただ生きているのに「針の穴を通そうとするような神経」を持ち合わせる必要はないということは確かかもしれない。これまでいろいろとトラブルに見舞われてきたが、それはトラブルだったのかそうでなかったのかよくわからなくなるのが、そのトラブルが解決したのちの反応だ。
それまで鬼の形相で悩んでいたことも、潜り抜けたトンネルの先にある景色に惚れてしまうように、まったくその前に何が起きたのか忘れているしどうでもよくなっている。失敗から学べという言葉があるが、トンネルから出た時に広がっている銀世界に惚れていては何も学んだとは言えない。
かといって、そのトンネルから出た後もなお、トンネルの前にあった景色のことを考えているのは明らかに尋常ではないといえる。
ベトナムに行くとは言っているが、これも元々は行く予定ではなかった。そして、そこの滞在期間が延びたことも完全に想定外ではある。昨日良いといわれたことが今日だめだといわれる世界では、気にすることはあまり意味をなさない。それによって神経質になること自体が意味をなしていないのだ。
基本的なことは誰でもわかるというのはゼロ知識証明のように他方からの確認を必要としなくてもいい。基本的なことを誰でもわかっているのかなどの照明をとるほうが面倒くさいからだ。基本的なことは誰でもわかるだろう、そういう風に自分の中で思い込んでいることもメリットになり強みになる。
タイタン事件が注目れることの意味
タイタニックを見に行った潜水艦が圧壊したことと、地球上で生きている人間が死んでいく現象はスピードは違えど同じ現象にも思える。地球は圧壊しないが、結局地球から出ることのできない時点で、完全に閉じ込められた潜水艦に乗っている乗客と状況は同じだったりする。つまり気にする必要はないと思える視点が存在する、そういうことである。