損して得取れ - Web3という戦場を行く
最近気づいたことがある。Web3とはWeb1やWeb2が中に入り込んでいるということだ。この意味が分かるだろうか?
Web3は今まで開発してきたすべてのWebの知見、そしてそれ以外の「全世界の知見」が含まれているということである。
何を言っているのかわからないかもしれないし、その考えだとWeb3至上主義に聞こえるかもしれない。しかし、世の中の物事は複雑に絡み合っていて、「新しさ」というのは真理的にはない。
Web3で最も重要なのは「欲のままに動く」ことであり、「止まってはいけない」ことだ。それが損だとしても、動き続けなければならない。損害ゼロで進めるほどWeb3はつまらなくないのである。
thirdwebから見るWeb3の真価
ひとつに、thirdwebはWeb3らしさを最も体現しているように見える。モットーは、ブロックチェーンとアプリケーションの懸け橋になることだが、アプリケーションやプログラミングの知識がない人間からすると、このツールは非常にありがたい。
それは使いやすいからだというわけではなく、モチベーションの発揚とアプリケーションへの興味促進である。例えば、thirdwebではSDKなるものを利用することを推奨されており、その中には「React」や「Python」などがある。
個人的に、Reactなどのライブラリを利用することのメリットやJavascriptのユースケースを考えたときに、最終的に何がしたいのかという問題は大きかった。しかし、すでに「Web3」を作るという目的がある今現在において、それらの知識や情報はthirdwebの存在意義と等しくなる。いわば「ツール」としてみなせるのだ。
面倒なことが嫌いな人間は、あれやこれやと分類されるのが嫌いでもある。しかし、このthirdwebは明らかにそういった面倒くささを消滅させようとしている。
これの肩を取り持つわけではないが、意味もなくプログラミング言語を触る必要がなくなったので、どれだけ難しいのかが手に取るようにわかるようになった。
大きな気づきは、難しさは新しさではなく目的に対する加速度
見出しの意味が分かりにくい、もしくはわからないというのはあるかもしれないが、そのままである。すなわち、難しさは目的ありきだということだ。例えば、React SDKでthirdwebを介して自分のアプリケーション上にMarketPlaceを展開したいとする。その場合、目的はMarketの展開なのだから、Reactの理解ではない。
その時、Reactをうまく理解して利用しつつ、Marketの展開という目的を忘れずにいられるかということであり、これが「むずかしさ」の本質なのではないかと思っている。
そういう意味では、何の目的もなくPythonを利用することがいかに無駄かがわかる。たしかにPythonは利用価値が高く勉強のし甲斐があるという人間がいる。しかし、世の中は優先順位というものがあり、すべてのものがすべてにおいて意味を持っていることを忘れてはならない。絶対にだ。
優先順位があるからこそ人は人を殺し、時には世界を憂いたりする。改めて言うが、Web3は戦場でありJust Do Itの精神が求められる。それは「待ったなし」であり、「待たなくていい」のだ。
待たずに動く精神を作る
そもそも、なぜことがうまくいかないのだろうか。それはやるべきことがあったときに、後回しにするからであり、それ以上それ以下でもない。終わらせることが重要であり、それはさっさと行うべきである。しかし、それは「とんでもないほど難しい」ことがベースにある。
このベースにある「とんでもないほど難しい」ことをすっ飛ばしてJust Do Itを持ち上げたりするからすぐに失敗したと言って立ち止まり、「絶望して自殺する」のである。本当に馬鹿だ。
最初に述べたように、やるべきことは大体難しい。そして、それは損害を出すことが多い。しかしそれをわかっていなければ立ち止まってしまうだろう。