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やりたいことって意外と見つけるのが難しい

好きなことして生きていくという文言が出てきた2010年代。しかし、その通りに生きているひとはごく少数なのではないでしょうか。私とて、好きなことが何なのかいまだによくわかっていませんし、それを見つけるのは非常に難しいことだとも思っています。

ブログはやりたいことなのか?

まず第一にブログはやりたいこととしてはそこまで順位は高くないということです。どちらかといえば、商業ブログは難易度が高く、かといって個人的なブログというのも取り上げるには難しさを感じます。個人ブログの最終目標はほとんどの場合収益化ですが、それは非常に難しいことで簡単ではありません。

プラットフォームの登場でWordpressやnoteなど、それまで面倒で理解が及んでいなかったブログの波は一気に変化の一途をたどりました。それによって簡単にサムネを作り、簡単に文章を書くことができるようになりましたが、依然としてそれがやりたかったことなのかといわれれば疑問ではあります。

世の中にそれまでなかった便利なツールが登場するとき、すごいとは思いますが、同時に何がやりたいのかというのを失いかけるときがあります。最初からやりたかったことならば便利なツールが出てきても、すごいという感情は起きないはずだからです。

配信をあきらめた矢先

配信は今はやりの情報共有モデルですが、それはブログとも、動画投稿とも異なる側面があります。その理由に、配信者として名をはせている大半の著名人がそれまでのYoutuberのメンツとはほとんど属性を異にしているからです。Youtuberはアウトサイドで陽キャなイメージがあった一方で、それとは異なりクローズドでインサイドな印象の配信コミュニティは、現代の動画でのコミュニケーションのあり方を一変させたといっても過言ではないでしょう。

しかし、それは非常に難しいものです。配信のだいご味は同時接続者数、いわゆるその時点で見ている人の数が正義であり、フォロワーよりもその数が絶対的な指標になります。また、視聴者数は時間帯によっても変わり、同時に見ればカウントされるため、席の奪い合いのような状況が起こります。

Youtubeでは、つまらない動画でもあとから誰かが見てくれはしますが、配信となると、アーカイブを残さない限りは椅子取りゲームのような状況になってしまうのです。

それに、視聴者をとることは想像以上に難しいことでもあります。視聴者は簡単に動いてくれませんし、仮に見てくれたとしてもすぐに抜けてしまったり、自分の配信のクオリティを1秒おきによくするとでも誓いつつ、視聴者数がゼロ人でもしゃべり続けるメンタルが必要です。そのため、これは一種の能力でもあり、職人芸ともいえます。

そんな配信ですが、やって失敗しても何も得られないというわけではありません。得られるものもあり、それこそが情報発信力です。それまでインターネットと疎遠だった人ほど、配信によってネットコミュニティにどのようなものがあるのかを知ることができます。

インターネットでいきり散らかすチー牛のような存在がネットにはありますが、実際知らなかったことを知れるという意味ではインターネット程便利なものはありません。端的に、予想よりも多くのコミュニティがインターネットにはあり、それは思いもよらない情報を舞い込んでこさせる契機にもなります。

結局のところ、何がしたいのか?

最後に、何がしたいのかについて述べていきたいと思います。人生は大体の場合暇つぶしとか言われることもありますが、やりたいことがない人にとってはそう感じることは往々にしてあることでしょう。しかし、やらなければならないことややりたいことがある人にとっては、それは驚くほど短くはかないものとして映ります。

何がしたいかどうかはそこまで考える必要はなく、その場でやりたいことがあればやればいいというのが答えになります。しかし、大体の場合やりたくないこともあり、それとどのくらい付き合っていくのか?という話にも展開される部分はあります。とはいえ、少なくともそれをやってお金を稼げなければ、やるに値しないのでは?と考えることもあるでしょう。

お金を稼げるかどうかは自分のやりたいこととは全く別の評価軸で考える必要があり、市場の神の手と自分の直感が合わさらなければ実現することはありません。そのような宿命にあるとしたら幸運ですが、なかなかそんな境遇を手に入れることは難しいでしょう。

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