【原神】胡桃はなぜ「胡桃」なのか?
この記事は胡桃(フータオ)の名前の由来についての話になります。せっかくの誕生日なので作ってみました。特に目次を立てることもなく、だらだら書いていきます。
【注意】
胡桃の伝説任務の一部ネタバレがあります。
まず前提として、胡桃は姓が「胡」、名が「桃」です。これは鍾離が「胡堂主(フーどうしゅ)」と呼んでいることや、英版で雲菫と同様に「Hu Tao」とスペースが空けられていることや、胡桃の去年の誕生日メールの中で「胡家(フーけ)」という表現があることからも明らかです。
我々はその表記から「くるみ」を思い浮かべてしまいがちですが、「胡」と「桃」はそれぞれ姓と名という役割で分かれていて、北斗などのように一つの熟語ではありません。たまたまそういう字面になっただけで(運営が意識した可能性はありますが)、くるみは直接的な由来とは無関係でしょう。大西洋(おおにし ひろし)という名前の人が、大西洋(たいせいよう)とは無関係であるように。
なので、「胡」と「桃」は別個で考えていきます。
「胡」については、「胡蝶(蝶の詩的な言い方)」からで間違いないでしょう。胡桃には、星座名や天賦名、ボイス、技のエフェクトなど、蝶々をモチーフとしている要素が多くあります。胡蝶という言葉を実際に使った例としては、エピソード動画0:40〜の台詞「蝶々って胡蝶とも言うでしょう?私と不思議な縁があるの。」があります。
ところで、蝶は何を表すのでしょうか。胡桃のモチーフ武器「護摩の杖」のストーリーに以下の文言があります。
文脈から、蝶は「死者の霊魂」の象徴として描かれているのが分かります。また、胡桃の伝説任務のタイトル「如何にして蝶は去り」からもそれが読み取れます。昔にやった方は頑張って思い出してほしいのですが、最後に無妄の丘で、狼兄貴(ろうあにき)の幽霊を円満に送別してあげるシーンがありましたね。あれが「蝶(=霊魂)が去る」ということです。
また、胡蝶と言えば有名なのが、「胡蝶の夢」の故事です。荘周(そう しゅう)の『荘子』に以下のような話があります。
この物語は何を言いたいかというと、荘周と蝶どちらが主体(自分)かは問題ではなく、結局どちらも「自分」であって、本質的に変わりはないということです。例えば「善と悪」や「生と死」などといった相対する二つの概念は、我々の認識から発生したものに過ぎず、本質は同じだということです。これを「万物斉同(ばんぶつせいどう)」と言います。
これは胡桃の生死観とやや通じるところがあって、ゲーム内の発言から彼女は「死は悪いもの」「死は恐ろしいもの」といった考えは持っておらず、むしろ生と裏返しの対等・同質のものと捉えているように思えます。
以上のように、胡桃の思想を覗くことで、「胡蝶の夢」との関連性を見出すこともできます。以上が「胡」についてのお話。少し長くなったので「桃」はサクッといきます。
続いて「桃」について、桃は中国において、古来から特別な意味を持つ果物です。
例えば最古の詩集『詩経』の「桃夭(とうよう)」という詩では「桃の夭夭(ようよう)たる、灼灼(しゃくしゃく)たる其の華」という句があります。その恵みにあずかろうと、桃の若々しさ、燃え立つように咲く華をうたっていて、桃は神秘的な木として捉えられています。
また『漢武帝内伝』において、不老長寿の女神である「西王母(せいおうぼ)」が武帝とともに桃を食べたという話が書かれています。西王母に関しては、胡桃の道教要素と関連付けることもできますね。
これらの背景もあってか、中国において桃は神秘的な果物であり、不老長寿の象徴とされています。胡桃のキャラクター設定に結びつくイメージです。
桃といえばもう一つ思い浮かぶものが…そう、「桃源郷(とうげんきょう)」です。桃源郷は俗世を離れた別世界の呼び名として馴染み深いですが、これは中国の文学者の陶淵明(とう えんめい)が書いた『桃花源記』という物語に由来します。桃源郷に辿り着くまでの流れを簡単に紹介しますね。
胡桃の伝説任務の中で、秘境(洞穴)を通って人々に知られない生と死の境界へ行く場面がありました。「隔絶された世界へ行く」という点において、私はつい『桃花源記』と重ねてしまうのです。まあここは妄想強めです。
まとめると、死者の霊魂を暗示する胡蝶、及び胡桃の生死観に関連する「胡蝶の夢」の故事からの「胡」と、不老長生の象徴である果物、あるいは隔絶された別天地の連想からの「桃」で、「胡桃」になったんじゃないかなと思っています。
深読みしすぎ?深読みしてる時が、してる側もされてる側も楽しいものです。