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瞬決と英断の先にあるもの

【雑記】

(※写真は以前🎈に乗せていただいた時のもの)

毎年楽しみにしていた、佐賀バルーンフェスタが中止になってしまった。

が!朝ニュースをみてみたらびっくり。会場になっていたはずの今朝の河川敷は水びたし!

組織委員会と大会本部が中止を決めた決断力、本当にすごかったなあとしみじみ。

急遽、夜中にこの大きなイベントのために準備したステージや仮設トイレや出店ブースなどを撤去したそうで、なんという瞬断、瞬決。お見事としか言えなかったです。

中止を決めること、とても苦しかったと思う。本当に辛かったろうなと。
だって、準備してきた人たちは、ここまでずっとこの日のために動いて働いて、それって誰よりも開催を一番楽しみにしてきた人たちだから。

そしてこの日のために全精力を手向けたクルー、パイロット、機材や気球、チェイスカーも、自然相手とはいえみんなの無念きわまりないよね。

と、こういった「期待と希望」と「現状」を天秤にかけ、苦渋の決断を迫られる中に、賢明で狂わぬ判断ができることを、本当の意味で英断っていうんだろうな。

これは、血がそうさせるの?思慮深さと察知力に長けた佐賀藩だから?鍋島藩の教育原理がなせる技?

幕末、歴史もずっとそうだったよね。科学技術をとりこんで技術立国にさせ、欧米列強に対抗できるように近代化して備えたりと、日本で1、2を争う準備力と瞬間プレイで切り抜けてきたよね、この国は。

過去の歴史を知ると、今生きている地域の人たちに根付いた特性が見えてくること、多々あるなあと思う。

そうそう!
しかも!バルーンフェスタにくる観光客は、私を含め90万人。その人たちが来ないとなると、それを見越した屋台、出店をされた方、それはもう膨大な損失になる。

なのに、ここからがすごい。ありとあらゆるところから、出店の救済措置がなされたという話を聞いた。たとえばプリン屋さんは3000個のロスを出してしまうことになる、飲食をされているかたならそんな数聞いたらこれは震えちゃう量、こころ折れちゃう量。

だけど、それを販売できるマルシェが開かれたり、それを温かな気持ちで買う地域の方がいたり、と。救済措置があちこちで自然発生しているよう。

バルーン中止の某大損失のうしろで、あたたたかに手を差し伸べる愛の循環。これも、まるで平和になった江戸の頃、戦に出ることがなくなって行き場所をなくし精神呆けた武士に手を差し伸べたあの葉隠のよう。

私は、駄々っ子のようにヤダヤダいいながら「バルーン見たいよー!」って、ただただ騒いでいたイチ側面側だけのイチ観光客。

でも、大きな決断・この大きなトラブルの背景を覗かせてもらったら、その底には温かな愛の循環がふんだんに流れていて。ショボンとしてた心がふわり溶け、あっという間にその愛のなかにくるまれて。ほんといつも単純です。GMCには「背景こそ愛して」とあるけれど、時には「背景に愛されてしまうこと」もあるのね。

さあ明日は、救済措置のとられた屋台にやきそばを食べに行くぞ!おー!!

明日3日も、バルーンが中止になってしまったけど、最終日4日のバルーンが見れるように祈っています。みんなでお空に祈ろうね。

4日には青空をキャンバスにした、色とりどりのチュッパチャップスがタワワに溢れますように🙏😀✨

ありがとう。

Tomoko Tachikawa

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