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もうヒリヒリする恋愛はごめんだ


消してしまった以前のnoteに書いたんだが、ドラマ「美しい彼」を知り合いに勧められて見てみた。

勧めてくれた知り合いはレズビアンカップルさんで、その人曰く「ノンケ界隈では、美しい純愛物として、セリフの一つ一つがキュンキュンするそうだが、自分が観ているとあまりにリアルで痛々しくて見てられない」との事だった。

実際に見た感想は…萎えた。あーいう同性愛的SMってアルアルだよね。肌を紙で切ったときの、あのヒリヒリ感。私はドラマを教えてくれた知り合いに萎えたと感想を伝えると、彼女は黙って首がもげそうになるくらい頷いた。

ところで、私の同性愛的SMの出会いは、松浦理英子の「ナチュラル・ウーマン」だ。出会って、惹かれあって、身も心も求め合い、やっと2人のセックスのやり方を見つけるも、同性であるが故の葛藤や「絶対に相手は手に入らない」ことが分かるからこそ、相手をいたぶり支配しようとする物語が描かれている。
この本は、その頃拗らせていた女の子への片思いを慰めるバイブルだったのだが、同性愛と言えば耽美で悲哀物が多く、もっとハッピーな結末はないんかい!と青い鳥を求めながら、同性へ思いを拗らせていたように思う。それは、同性愛をオープンに語ることが出来ない時代背景が大いに影響はしてるけど。

その後、「昨日何食べた」や「作りたい女食べたい女」みたく、同性を好きになる葛藤はあっても、好きを拗らせる事なく真っ直ぐ伝えて穏やかで幸せな話が出てきて、ああ、やっと同性同志でカップルとしている事を安心していられる話が出てきたと安堵した。

私はと言えば、ナチュラルウーマンからここまで、男の子とも女の子とも付き合ったが、もうヒリヒリする恋愛はしたくない。心からそう思う。

求めても求めてもなお求める渇望感は、誰かに埋めて貰っても埋まらない。それは前回の大失恋で大いに学んだ事だ。それ以来、私は同じ轍を踏まないように生きている。
なぜならば、そこに自分自身の深い問題が隠されており、その問題は誰のせいでもないからだ。ウンザリするが向き合うより仕方がない。
こんな事を教えてくれるから、ヒリヒリだろうがドロドロだろうが、恋愛は人生を豊かにすると改めて感じる。

もうヒリヒリはごめんだけど、誰かを大切に想う事は素敵だ。私はいつも彼女を想って生きている。その想いはふんわりとしていて、吹けば飛ぶたんぽぽの綿毛のように軽やで可愛らしい。
私の最後の恋は、私に大きな恩恵をもたらした。ヒリヒリを卒業し、穏やかに相手の幸せを願いながら、私は私で楽しい人生を歩む。これが私のこれからの恋愛スタイルだ。



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