小説「for」 注釈4 ジョン・コルトレーン
ジョン・コルトレーンはモダンジャズ史上の最重要テナーサクソフォン奏者。テナーサクソフォン奏者のレジェンドはソニー・ロリンズを初め幾人かの名前があがるが、その誰とも違う存在。その演奏と作曲作品は未だに多くのジャズメンの研究対象であり、giant steps 、countdownなどのコルトレーン・チェンジを始めとするジャズの機能和声構造の新たな視点の導入も含め、活動年度毎にその演奏の内実が変化、更新され続けているのが採譜すればわかる。当然のようにジャズのスタンダード作品も多く残されてはいるが、コルトレーン自身が書いた作品にその真価が結実されているように思う。アルバム「クレセント」はコルトレーンの妻の談によると亡くなるまで愛聴していた2枚のアルバムのうちの1枚だったらしい。そのアルバムタイトルにもなったcrescentのソロは特にその比類なき領域を留めていると思う。
今では伝説になったコルトレーンもマイルス・デイヴィスのグループに招集されていなければ無名で終わるということはなかったにしても、その名前がここまで神格化を持って語られることはなかったかもしれないし、そうなる機会も与えられなかった可能性を考えると、マイルス・デイヴィスの功績は大きすぎるほど大きい。余談だが、エリック・ドルフィーもマイルスに雇われていたら、、、と思わなくもないが、ハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムスがドルフィーを雇ってはどうかと散々推薦し続けたらしい逸話があるが、首を縦には振らなかったのは残念すぎる。マイルスのドルフィーへの評価の正しい言及があるのなら知りたいものだ。
ジャズの帝王マイルスの元を去ってアトランティック・レコードからインパルス・レコードに移籍し、love supremeを書き、crescentを経てフリージャズに向かう。未だそのフリージャズ期の正しい評価はなされていないが、コルトレーンにしか見えていないものがあったのはその功績と何よりサクソフォンのあの演奏の神がかった軌跡を追っていけば明らかだ。その萌芽は明らかにドルフィーとのツアーごろから生まれ、ドルフィーのホーンアレンジのアルバム「africa」の演奏のオーバートーン、ファルス・フィンガリングなどの技法の採用回数の多さ(impressionあたりから使われだしたのが確認できる)や、楽曲「miles mode」は実はdolpyによるもの(ドルフィーはred planetという題で発表している)ではないのか(12音技法的なテーマの音組織)など語るべきことは後から後から山ほど溢れてくる。