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なぜ、大学に進学した方がいいのか?


はじめに

現在、高校生の大学進学率は50%を超え、さらに首都圏では70%を超えていると言われている。学力レベルが平均以上の高校に通う生徒にとって、大学進学はもはや当たり前の既定路線といえるだろう。しかし、大学進学率が首都圏で70%を超えているということは、反対に地方での進学率は相対的に低くなっているはずで、住んでいる地域や通う高校のカルチャー、身近な友人関係、家庭の教育方針(もしくは教育方針の欠如)によって大学進学を検討できない生徒もまだ一定数いることが想定される。場合によっては、はなから大学進学について否定的な文化環境で育てられた子どももいるかもしれない。本論は、そのような境遇におかれているらしい離れて暮らす息子に向けた、オヤジの説教である。そういった大学進学にポジティブではない環境で育った息子たちに向けて、大学進学や将来働くことの意義を見出してもらうための議論を提供する。

大学進学のメリット

モラトリアム期間

モラトリアムとは「猶予期間」のことだ。大学進学をすることで、社会人(いわゆる大人)になるまでの時間を一定期間延期することができる。短大や専門学校への進学も多少のモラトリアムにはできるが、後述するようにモラトリアム期間としての効率は悪い。大学への進学は、18歳の君たちにとって最も適したモラトリアムといえるのだ。

なぜ、モラトリアム(大人になるまでの時間を延期すること)が必要なのか。それは端的に言って、君たちがまだ「子ども」だからだ。昭和の時代、かつては15歳で社会人になる若者が多かった時代がある。男の子は中学を出てすぐに就職し、車の免許をとってドライバーになり、高度経済成長を支えた。女の子は15歳になると花嫁修行をしてお見合いをし、10代で母親になる少女も少なくなかった。そういう時代は大人になるまでの時間が短かったと言える。それでもそれが問題にならず社会で一般的であったのは、そもそも大学進学率が低かったのでそれが当たり前であったし、社会も会社もどんどん成長・拡大する時代だったので、がむしゃらに働けば給料も増え、立派な一戸建てを購入して子育てをすることもできた。昔はそういう時代だったのだ。

だが、令和の今は異なる。法律で形の上では18歳で成人することになったものの、大学進学率はかつてないほど高まり、中卒や高卒でがむしゃらに働くという若者は極めて少ない。かつては多くの大学で勤労学生のための夜間スクールが開講されていたが(菅元総理も実は法政大学の夜間スクール出身である)、現在ではほとんどの大学で廃止されている。10代で結婚し、子育てを始めるという少年少女も顕著に減少しているだろう。18歳を取り巻く勤労環境と文化環境は大きく変容したといえる。

そもそも、人間にとっての「子ども」と「大人」の区別は、生物学的にある日を境に突然変わるものではない。人間の場合、それは「社会通念」が決めるのである。それは特定の誰かが決めるものではなく、その属する社会・集団の中で自然発生的な概念として決められるのだ。大学進学率が50%を超え、さらに若者の多くが結婚しなくなった令和の今、「大人」の概念は大卒年齢(概ね22歳)にまで引き上げられているのが実態であろうと父は思う。だからこそ、今はまだ「子ども」である君にはモラトリアム期間が必要なのだ。

このモラトリアム期間はただ怠惰に時間を過ごせば良い、ということではない。このモラトリアム期間に考慮してほしい5つのことを以下に記す。これらを実践・経験できる場として、大学に所属することは極めて効率が良いといえよう。専門学校や短大でも多少のモラトリアム期間は作れるが、在籍している時間が短く、正規の課題・宿題をこなすだけでとても忙しいし、夏休みは就職活動に費やされてしまう。このことから、18歳の若者が過ごすモラトリアムとして、大学進学が適切であると父は考えている。

  1.  社会の仕組みを学ぶ

  2.  独立して生きていくバイタリティーを身につける

  3.  円滑な人間関係が取れるコミュニケーション能力を身につける

  4.  自分の未知の可能性を発見する

  5.  社会的地位や年収に関係なく異性と交際・恋愛ができる

学問の体系を理解する

大学とは、そもそも研究を実践する場所である。それは社会や自然科学の原理を追求するような基礎的な学問に限らず、日々の生活や福祉に関するプロフェッショナリズムも含まれる。前述したようなモラトリアム期間を過ごすこととは別に、それとうまくバランスをとりながらも、大学生の本分として所属する学部の学問をよく理解しておくことは大変に有意義であると父は思う。

多くの学生が陥りがちな考えとして、「大学生の間にギリギリ単位だけ取っておけばいい」「大学の勉強は、就職活動や将来には関係ない」といったものがある。しかし、それはとても「もったいない」ことなのだ。

大学で所属する学部の学問は、決してバラバラの各論ではない。それはある現象を説明するために、世界中の研鑽を積んだ学者たちが何十年も、あるいは100年以上も紡いできた知識の体系であり、説得力のある一つの「真理らしいもの」に辿り着いた足跡なのだ。大学で君たちはその足跡をたったの4年間で凝縮して学ぶことができる。いわば、学者たちによる100年の研鑽のエッセンスの美味しいところだけをつまみ食いして楽して学ぶことができるのだ。

もしかしたら君たちは「大学の勉強なんか、社会に出たら役に立たない」と本気で思っているかもしれない。もしもそうだとしたら、勉強に対する姿勢が間違っている。大学の勉強は、バラバラに各論を暗記しても意味はない。だから、試験のときだけ試験範囲を丸暗記しようとすることは愚の骨頂である。重要なのは、100年以上積み上げられた知識を体系的に理解することと、学問を体系化するための思考法・方法論を身につけることだ。一度それを身につけてしまえば、あとで社会人になってから仮に分野を変えたとしても、自分だけの新たな知識の体系を作ることもできるようになる。それは将来のビジネスや、あるいは友人関係、もしくは結婚や子育てをすることにも通じるものがあると父は信じている。

もう一つ大学で学ぶべきなのは、より実践的なスキルだ。主要なことは、技術的なライティングスキル、プレゼンテーションスキル、ディベートスキル、そして語学力である。前述した知識の体系は、別にキャンパスで学ばなくても、今の時代ならインターネットでも効率よく吸収することはできるかもしれない。しかしながら、実践的なスキルは一朝一夕で手に入れることはできない。大学のキャンパスの中で、ゼミの同級生でもサークルの先輩後輩でも恋愛関係のイザコザでもなんでもいいのだが、とにかく議論する相手がいて、反論されたり批判されたりしながら実践的なスキルを磨いてくのだ。そしてこれが重要なのだが、大学での失敗はどんなことでも許されるということ。だからこそ、リスクを恐れずに体当たりでいろんなことにチャレンジできる。それが大学生になることのメリットである。

大学ブランドを利用できる

多くの学生にとっての関心事は、どの大学に行けば就職が良くなるのか、ということであろう。かつては、有名大学(難関大学)への進学がそのまま優良企業への就職に直結していた、という時代があった。現代でもその名残があり、例えば慶應義塾大学出身なら入りやすい商社やテレビ局、というのは現実にあるだろう。また、これまで議論してきたように学問の体系を学ぶという点でも、歴史の古い有名大学(特に国立大学)の方が優れた研究が実践されている、というのも事実である。だからこれから志望大学を選ぶとしたら、一般論としてはそういった"ブランドのある大学(ブランド大学)”を目指す方が良い。また、もしも地方出身者であれば、大学進学を機にできれば都会に、願わくば東京エリアに進学した方がいいだろう。以下に、ブランド大学に進学することの利点を整理する。

  1.  就職活動で有利になる

  2.  優れた研究が実践されている(特に国立大学の場合)

  3.  男性の場合、異性にモテる可能性が高まる(気がする)

  4.  卒業生のネットワークが卒業後も役にたつ可能性が上がる

  5.  主体的に活動する活発な学生が多く、学生同士で互いに刺激になる

とはいえ、ブランド大学に入りたいと思って簡単に入れるなら、誰も苦労はしない。恐らくは離れて暮らす我が息子たちは、そもそも大学受験学力が平均ラインに達していない可能性が高い。また、進学のための金銭的な工面についても悩んでいるかもしれない。受験勉強の方法論や進学資金の捻出方法についてはそれだけで多くの議論が必要になるので、今後別の記事で紹介する予定である(乞うご期待)。

大学に進学しなくてもいい人たちもいる

本稿は大学進学を勧めるものではあるものの、それは必ずしも万人に通じるものではない。反対に、以下のような人に進学はデメリットかもしれない。

  1.  お金がない

  2.  高卒で良い就職ができると考えている

  3.  別の才能や目指すべき何かがある

  4.  家業や親のコネで生きていける

「(1)お金がない」という場合、「なんとかなるケース」と、「なんともならないケース」がある。詳しくは進学資金の捻出については別の記事を書く予定だが、ここでも簡単に紹介しよう。「なんとかなるケース」は家を出てバイトをしまくって、大学は地方国立大や公立大に進学する、という方法だ。「なんともならないケース」は家族に要介護者や弟や妹がいて、自分で養わなければならないというケース。後者の状況の打開は非常に厳しいし、残念ながらオヤジは解決策を持たない。

「(2)高卒で良い就職ができると考えている」というのは、例えば工業高校を出て、大手メーカーや鉄道会社の技術者として採用される場合など。あるいは、高卒で地方3種公務員になれる場合もある。そういう場合、その就職を蹴って大卒になったとしても、生涯に得られる収入はそう変わらないかもしれない。むしろ地方であれば、高卒でも大手企業の工場に就職できたり公務員になれたりすれば、地元では花形キャリアで結婚相手もすぐ見つかってハッピーになれる、という場合もあるかもしれない。それが幸せであるという確信があるなら、自己責任でそういう人生を選ぶのもいいだろう。しかし、オヤジは余計なことも一つ書いておこう。高卒で入ったその「良い会社」があと何年存続するのかどうか、そのエリアの工場が定年になるまで存在するのかどうか、少しは考えてみても良いかもしれない。

「(3)別の才能や目指すべき何かがある」というのは、メジャーリーグで活躍している大谷翔平が例になる。彼に大学進学は全く必要ないし、もし進学したかったら競技生活を引退してから、人生の後半に進学してもいいだろう。もしも君が、料理人を目指したいとか、声優を目指したいなどのやりたいことが決まっているなら、その道の師匠に弟子入りしたり、専門学校に進学したりすることは有意義だろう。特に若いうちから修行が必要な世界もあるので、そういう場合は大学に行くべきではない。ただ、アイドルやプロ野球選手などのように競争倍率が明らかに高い道を目指す場合、撤退のポイントを予め決めておく必要がある。例えば、声優を目指すチャレンジは21歳の誕生日になるまで、など。そして、撤退ポイントを過ぎても結果が出せなかった場合、潔く撤退して大学進学のルートに切り替えた方がいいだろう。(撤退は心理的ハードルが高いので、勇気が必要だ)

「(4)家業や親のコネで生きていける」というのは、世の中にはそういう上級国民がいるということ。残念ながらオヤジは上級国民ではないため、一身独立して頂く必要がある。

さて、長くなったので本稿はこの辺で終わりにする。次回以降の記事で上記で議論してきたことをさらにブレイクダウンしてオヤジの説教を続けようと思う。










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