見出し画像

物理を超えて広がる視野、日常の特別な瞬間

2024年4月、私の新たな拠点は兵庫県立大学播磨理学キャンパスから東京大学柏キャンパスへと移った。関東地方に戻ってきたことで、幼少期から慣れ親しんだ風景や日常が懐かしく感じられると同時に、私は変化の予感に胸を高鳴らせていた。以前の私には見えなかったものが、いまこの場所では鮮明に感じられる。その違いは何なのか、自分自身に問いかける日々が続いていた。

6年前、私は東京の中堅私立大学に通っていたが、そこに馴染むことができず中退した。その頃の私は社交性に乏しく、新たな環境に適応するのに苦労していた。塾講師のアルバイトをしながら家でのんびりと過ごしていたが、どこかで心の中にぽっかりと穴が開いているような気がしていた。生きる目的もなく、ただ日々をやり過ごしているだけだった。

しかし、物理という学問に出会ったことで、その閉塞感は少しずつ変わり始めた。物理は私に、目の前の現実がいかに複雑で広大であるかを教えてくれた。私が知る世界はほんの一部に過ぎず、そこには未知が無数に存在している。特に、電子同士が引き合うという量子力学の不思議な現象に魅了され、その深淵に足を踏み入れたいという強い衝動に駆られたのだ。

兵庫県での4年間は、物理と真正面から向き合う貴重な時間だった。豊かな自然に囲まれた環境の中で、日々の誘惑が少なかったこともあり、物理に没頭することができた。しかし、その代わりに私の日常生活は次第に狭まり、物理以外の世界に目を向ける機会を失っていたことに気づいたのは関東に戻ってからのことだ。

柏キャンパスでの日々は、物理だけでなく多くのことに触れる機会を与えてくれた。日常のあらゆる場面で、人や物が織りなす関係が複雑に絡み合っていることに気づかされた。そしてそのことが、私の研究だけではなく、生き方そのものを広げていくきっかけとなった。

その一つの象徴が、タイミーを通じたアルバイト経験である。普段は物理の研究に専念している私にとって、スーパーマーケットのレジ打ちやイベント会場の搬出作業は、これまでとは全く異なる世界だった。日常生活の背後には、それを支える人々の存在があり、その一つ一つが私たちの生活を支えている。私はそれまで、自分がいかにそうした「日常」の側面に無頓着であったかを痛感した。

ある日、アルバイト先で会った人に「普段何をしているの?」と聞かれた時のことをよく覚えている。私はいつものように「大学院で物理の研究をしています」と答えた。これまでこの答えは、単に「すごいね」という反応しか引き出したことがなかった。しかし、その人は違った。「物理のどの分野?」とさらに踏み込んだ質問をしてきたのだ。

その問いかけに、一瞬の間を置いてから答えた。「超伝導の研究をしています。」すると、その人は興味深そうに微笑み、有機化学を専攻していた自分の大学院時代の話を始めた。予想外の展開に驚きつつも、会話が進むうちに自然と物理や化学の専門的な話題に発展していった。

その会話が私にとって特別だったのは、単に物理の知識を共有したからではない。私は、日常の中に偶然にも見出される「特別な瞬間」の存在に気づいたからだ。普段の研究生活では味わえないような、思いも寄らないアイデアや新しい視点を得ることができた。その場限りの出会いだったかもしれないが、その経験は私にとって心の糧となった。

関東地方に戻ってから、私は意識的に人と会う機会を増やすようにした。学会やセミナーの他にも、飲み会やネットワーキングイベントに参加し、様々な人と交流することに努めた。そうすることで、思いがけない発見や出会いが次々と私のもとに訪れたのだ。大学院での研究を軸にしながらも、私は新たな視点を取り入れ、自分の成長を感じることができた。

10月からは東京大学の統合物質・情報国際卓越大学院(MERIT-WINGS)のプログラムに採用されることになり、これまで続けていたアルバイトの多くを辞めることにした。アルバイトで得られた経験は貴重であり、そこから得た気づきは今後も私の生き方や研究に活かされるだろう。そして、今度は研究により多くの時間を割きつつも、引き続き人との交流の場を大切にしていこうと思っている。

私の視野は広がり続けている。物理の研究を通じて、自分がどれだけ世界を知らなかったかを学び、関東での生活を通じて、社会の多様な側面に触れることができた。これからも未知の世界への好奇心を失わず、日常の中で偶然に見出される「特別な瞬間」を大切にしながら、前に進んでいきたい。

「まだまだ世界は広い。」

そんな思いが、今の私の胸の奥底に、強く根を張っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?