想いを繋ぐってどうすればいいんだろう
本日は、松本市にある「安曇三ダム」に行った際に感じた
”かつてあったものを繋ぐってつまりどうすることなんだろ”
という話をしたい。
まずは、「安曇三ダム」である。何それ?である。
ファーストガンダムに出てきた黒い三連星とは関係ある?
いいえ、それはドムです。
松本から上高地方面へ向かう途中にある梓川を堰き止めて電力をつくる奈川渡ダム(上画像)は長野県にあるダムの中でも一番大きなダム。
この下流に、稲核ダム、水殿ダムと続く三段構えのアーチ式ダムは通称「安曇三ダム」と呼ばれている。
人造湖である梓湖の
・総貯水容量は1億2,300万立方(長野県最大の天然湖、諏訪湖の約2杯分に相当)
・水力発電による認可最大出力は62万3000kW(約20万世帯分をまかなえる電力)
※1世帯あたりの平均電力は100V×30A=3kw(東京電力調べ)
※安曇野市の人口は9万5310人(2016年10月時点)
・4000ヘクタール(東京ドーム855個分)を網羅できる農業用水を放出。
として松本・安曇野地方のライフラインを今日も支えている。
私が、この三ダムを訪れたのは安曇野の美しい景観(下画像)はいかにして生まれ、そして維持されているかを調べる為だった。
それにはどうやらこの安曇三ダムが大きく貢献していると知った。
それを、この目で確かめてみようと思ったのだ。
確かに奈川渡ダムは雄々しく、梓湖はデカかった。
しかし私の心に引っかかったのは、このダム建設のために涙をのんだ者達の存在だった。
このyoutubeは、このダムの底に沈んだ奈川渡集落についてのドキュメンタリー映像で長野県松本市立奈川中学校が制作したものだ。
時間/5分00秒(今はpanasonic公式ページになっています)
そして、冒頭の慰霊碑は奈川渡ダムの予備ガントリークレーンの錆びついた階段を登り切った眺望の良い高台にあった。
建設に携わり殉職された51名の名前が刻まれていた。
かつてあった集落とはどんな集落だったのだろうか?
ダム建設工事は一体どんなものだったのだろうか?
どんな方達が、どんな気持ちで建設に臨んでいったのだろうか?
梓湖の静かで青い水面を眺めて底からこれらの答えが浮かんで来ることはないけれど、鎮魂を思い手を合わせた。
ダムが出来る前の安曇野は荒れ地も多く水も上手く取り込めない事が多かったそうだ。これ程の美しい水田地帯になった一つの大きな存在。
ただ裏にはこんな事があったのだ。
伝えるだけじゃ、役不足なのは重々承知なのだけれど、知ってもらえば繋がる筈!というのが今のところ私が出来る事だ。
それに過去を知って初めて未来に責任が持てる。
というのは何もダムだけの事ではない。
私の昨日と明日にも、もちろん関係しているのだ。
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