中国古典 清時代 「鄧石如」 

1743年―1805年没
鄧石如は安徽省に生まれました。字は石如、号を完白、頑白と称しました。
石如の父は家庭教師をしながらわずかな収入を得ており、一家は大変貧しい生活を送っていました。幼い頃から力仕事や魚釣りなどで生計を助け、学問に打ち込む環境ではありませんでした。しかし、石如は幼い頃から篆書や篆刻に興味を持ち、独学でその道を極めていきました。

彼は生涯、官職に就くことなく、各地を旅しながら書や篆刻を売って生計を立てました。結婚も数度経験しましたが、妻や子供を早くに亡くすなど、不幸な家庭環境の中で生きていました。
20歳頃から各地を遊学し、多くの文人と交流を深めました。秦漢時代の金石文を研究し、篆書の技術を磨いていきました。特に、曹文埴との交流は、石如の書道家としての成長に大きな影響を与えました。
60歳のとき、包世臣と出会います。包世臣は石如の書を絶賛し、石如の名声を高めました。その後、故郷に戻り、63歳で生涯を閉じました。

鄧石如は、清朝書道史において碑学派の祖と位置づけられています。
秦漢時代の碑文を研究し、その特徴を自身の書に生かしました。特に、篆書と隷書において大きな業績を残し、後世の書道家たちに多大な影響を与えました。

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


いいなと思ったら応援しよう!