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中国古典 清時代 「傅山」 

1607年ー1684年没
傅山は、山西省太原出身の方で、本名は鼎臣でしたが、その後山と改名しました。字は青竹から青主、仁仲と変えました。また、嗇廬や石道人など数多くの号も持っていました。
彼は学者の家系に生まれ、幼少期から教育を受け、経史諸子、金石学や医学にも精通していました。医師としても高い評判を持ち、優秀な文人との関係も築いていました。36歳の時には三立書院で教壇に立ち、学問を教える一方で、書画家としても名声を得るようになりました。
明の滅亡後も明朝の名残として清に抵抗し続けましたが、清朝からの仕官の誘いには応じず、終生仕えることはありませんでした。その後、彼は故郷で書画に打ち込む日々を送り、78歳で生涯を終えました。

傅山は幼少期から書を始め、魏晋唐の小楷や顔真卿、王羲之を学びました。真摯に書を追求することで書道の至高の境地に達しました。特に彼の連綿草の書風は称賛され、王鐸(おうたく)と同じく高く評価されました。
彼は『霜紅寵集』で「巧さよりも拙さを、媚びた美しさよりも醜さを、軽描きよりも乱れを、程よりも直を重んじて書くことが本旨であるべきだ」と自身の書道の理念を述べています。
傅山は行書や草書だけでなく、楷書や金文風の作品も残しており、彼の書には高い評価が寄せられています。黄道周も「晋唐以後の第一」と評価しました。

傅山「春宿左省」玄妙臨

杜甫詩〈春宿左省〉
【釈文】
花隱掖垣暮 啾啾栖鳥過。星臨萬戸動 月傍九霄多。不寢聽金鑰 因風想玉珂。明朝有封事 數問夜如何。
【口語文】
傍晩に後宮の壁が花を隠し、啾啾宿鳥が鳴きながら通る。星はすでに出て、天空に輝く。同時に天空に月が出、明るく光っている。天空より伝わってくる金鑰の音を聞き、風が起きると天空の玉珂の音を想う。明日の朝は上奏文がある。夜は明けたかと幾度も聞く。

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


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