中国古典 秦時代 「泰山刻石」「権量銘」 篆書
BC221〜206
秦の始皇帝は、中国全土を統一した後、各地の霊山に登って天地を崇拝し、自分の徳をたたえる記念碑を建てました。泰山に建てられたものが泰山刻石であり、その筆跡は宰相の李斯(りし)によると伝えられます。
始皇帝は、文字の統一を行い、その文字は小篆と呼ばれます。小篆は、金文・石鼓文から派生したものであり、金文・石鼓文は「大篆」と呼ばれます。
権量(重量の基準器)や印璽(いんじ)等の文字もみな李斯が書いたと言われており、これらの文字には全て小篆が使われています。
小篆は金文・石鼓文の大篆の文字を整理し、タテ画、ヨコ画をはっきりとさせて簡素化したものです。筆画が少なく、縦長で丸みを帯びた線質の典雅な形で、左右対称で堂々とした結体の公式文書体です。個人の感情や筆勢は一切表れません。この字体は現在でも日本の印鑑によく使用されています。
「泰山刻石」
【釈文】皇帝臨立。作制明法。臣下脩飭。 廿有六年。初并天下。罔不賓服。窺䡄遠黎。登茲泰山。周覽東極。從臣思
【口語訳】皇帝は位につかれて、制度を作り法律を明らかにし、臣下は整え修めた。二十六年(前二二一)、初めて天下を併合し、服従しないものはなくなった。皇帝はみずから遠方の人民の間を巡幸きれ、この泰山に登り、あまねく東のはてまでもご覧になった。従臣は思う
「権量銘」
【釈文】始皇詔 量則不壹歉疑者
※この作品(臨書)と資料は、2021ー2022に行った臨書展で使用したものです。
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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