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中国古典 明時代 「董其昌」 

1555年―1636年没
董其昌は画家であり、書家です。華亭(江蘇省松江県)の出身で、字は玄宰、号は思白や香光などと称され、書斎名は画禅室でした。
董其昌は莫如忠の門下で学び、三十五歳の時に進士として合格しました。
翰林院の庶吉士として活躍し、皇太子(後の光宗)の教育係や郷試の試験官を務めました。病気を理由に帰郷し、一時的に翰墨(詩·書·画)の生活を送りました。
その後、政界に戻り、「光宗実録」を完成させました。その功績が認められ、南京礼部尚書となりしましたが、宮官の鍵忠賢による迫害を恐れ辞任しました。再び政界に戻った後、翌年に引退し、八十二歳でその生涯を閉じました。

董其昌は書の才能に優れており、邢侗・張瑞図・米万鍾とともに「邢張米董」、米万鍾とともに「南董北米」と称され、明末書画壇の最高峰に位置しました。
彼の鑑定能力や収蔵の豊富さは称賛されましたが、非常な非道な行動も取りました。
横暴な高利貸しや若い娘を妾にするなど、その行為は世間からの批判を浴び、焼き討ちの対象になりました。

若い頃から顔真卿や虞世南から学び、王羲之を中心とする醜晋の書の臨模に専念し、書画の収蔵家のもとで歴代の真蹟を縦覧しました。そこで、真跡でなければその神髄は理解できないと悟りました。また、米芾の「平淡天真」を理想とし、「天真欄漫」の境地を提唱しました。

董其昌「行草書羅漢賛等書巻」

〈行草書羅漢賛等書巻〉
【釈文】 
癸卯参月。在蘇之雲隱山房。雨窻無事。范爾孚・王伯明.趙滿生同 過訪。試虎丘茶。磨高麗墨并試筆亂書。都無倫次。

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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墨玄会 主宰 玄妙 


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