日本古典 幕末・明治初期時代 「副島種臣」
1828年〜1905年。
政治家。伯爵。初名は二郎、龍種。通称は次郎。号は蒼海。一々学人。
肥前佐賀藩士の家に生まれ、旧姓枝吉、のち副島家の養子となる。青年時代、尊攘運動に身を投じ,兄の神陽とともに藩政改革の中心となった。幕末、明治維新にかけては、新政府の参与となって「政体書」の起草に尽力するなど国事に奔走し、参議、外務卿、内務大臣等を歴任した。
種臣は「書といふものは全心をこめて、できるだけ遅く書くのがよい。間架結構を頭に描いて書くものではない。どんなに形が悪くても少しぐらいゆがんでも、それは後の問題だ。でき上ってからのことで書く前にそんなことを思うものではない。そういう気で修業を積んでおれば曲っても筋の通った書ができる」と、ある人に語ったという。
若いころから同郷の書家・中林梧竹の影響をうけ、二年間ほど清国に渡って多くの文人墨客と交わり、書の古典を学んだ。そんな基盤の上に、高い志、深い学問と鋭い鑑賞眼等によって培われたその書は、創造力豊かで極めて格調の高いものとして評価され、近代書道史に大きな業績を残した。
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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