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中国古典 唐時代 「柳公権」 

778年ー865年没
柳公権は政治家で能書家でした。陝西省の出身で字を誠懸といいます。父も兄も政府の高官でした。
少年時代から非常に学問に優れており、 二十八才で進士に合格し、歴代四皇帝に仕え、皇太子の教育係である官東宮三師も勤めました。政治的紛争で地位が格下げされましたが、のちに復帰し、八十八才で亡くなりました。

柳公権は、楷書の四大家、欧陽詢・顔真卿・趙孟頫の一人です。
初めは王羲之の影響を受け、次いで欧陽詢を学び、当時の多様な筆法を研究し、強く優美な書風を完成させました。
書は「顔筋柳骨」と称され、常に顔真卿と比較されましたが、顔真卿の法を受け継ぎ、さらに端正で強いとの評価もありました。
当時、彼の書を求める人が多く、親が亡くなって墓碑用に彼の字を得られないと親不孝とさえ言われました。

性格は剛直で、穆宗皇帝から柳の書法について「筆何すれば善を尽くすや」と問われると「用筆は心にあり、心正則筆正」と諌めたことでも知られています。

代表作は『玄秘塔碑(げんぴとうひ)』『大達法師玄秘塔碑』で、これらの碑文は、顔真卿によく似た緊密で線美な楷書として知られています。
玄秘塔碑は、左街僧録の大達の埋骨塔である玄秘塔の由来を記したものです。

柳公権「玄秘塔碑」玄妙臨

〈玄秘塔碑〉
【口語訳】
玄秘塔なる者は、大法師端甫の霊骨の帰する所なり。於戯 丈夫たる者は、家に在りては則ち仁義礼楽を張り、天子を輔けて以て世を扶け俗を導き、家を出づれば

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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墨玄会 主宰 玄妙 


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