中国古典 隋時代 「智永」
生没年不詳
智永は、南北朝末から隋初の僧で永禅師と呼ばれ、王羲之の七世の孫とされる。会稽(浙江省)の出身です。字は法極。百歳を超える長寿であったと伝えられるが、定かではない。
兄の孝賓(法名は恵欣)と共に出家し、王羲之の旧宅であった嘉祥寺に住み、この兄弟が仏教をよく崇拝したことから、のちに嘉祥寺を二人の名をとり、永欣寺とした。
智永は僧としてよりも能書家として知られる。永欣寺に篭って臨書し、穂先がすり切れた筆で大きな五つの竹篭がいっぱいになったという。
また、使い古した筆を埋めて筆塚を築き「退筆塚」と名付け、自ら銘を刻みました。さらに、智永の書を求める人々が門前にあふれ、室の入口の敷居が壊れたため、鉄板をかぶせて摩滅を防ぎました。後に人々からは「鉄門限」とあだ名がつけられました。
〈真草千字文〉
王羲之の書として奈良時代に渡来され、東大寺に献納された一巻で、後に、内藤湖南が智永筆と識別した。この真跡本の他にも関中本と呼ばれるものがあります。
「千字文」とは、梁の武帝が殷鉄石に命じて、王羲之の書から重複しない千字の模本を作らせ、周興嗣にそれを韻文にまとめさせたものです。以後、漢字学習の手本とされ、漢字による「いろは歌」とも言える存在となりました。左行の草書はやや精彩を欠きますが、王羲之そのものであり、右行は智永の真書(正書)の楷書です。
〈千字文〉
【釈文】
天地玄黃 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張 寒來暑往 秋收冬藏 閏餘成歲 律呂調陽 雲騰致雨 露結為霜 金生麗水 玉出崑岡 劍號巨闕 珠稱夜光 果珍李柰 菜重芥薑 海鹹河淡 鱗潛羽翔 龍師火帝 鳥官人皇 始制文字 乃服衣裳 推位讓國 有虞陶唐 弔民伐罪 周發殷湯 坐朝問道 垂拱平章 愛育黎首 臣伏戎羌 遐邇壹體 率賓歸王 鳴鳳在樹 白駒食場 化被草木 賴及萬方 蓋此身髮
【口語訳】
天は玄ろく 地は黄色。宇宙は果てしなく広い。日はのぼり西に傾き月は満ち欠けする。星は星座に宿りが並び広がる。寒さが来れば暑さは去る。秋に穫り入れ冬に蓄える。閏月で余った日数を整える。音曲を調子よく吹き鳴らせば陽気が整う。雲が起これば雨をもたらし、露が凍れば霜となる。金を産すは麗江の流れ、玉石を出すのは崑崙の山。巨闕という名剣と夜光の珠はともに至上最高の宝。珍重果実はすももとからなし。・・・・智永「真草千字文」玄妙臨
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