中国古典 明時代 「祝允明(枝山)」
1460年―1526年没
祝允明は、長洲(江蘇省蘇州)の出身で、字は希哲と言います。右手の指が一本多かったことから、枝山という号や、枝指生と呼ばれました。
彼は、幼少期から早熟な天才と知られ、三十二歳の時に地元の試験に合格しました。しかし、進士の試験では何度も失敗しました。五十五歳の時に興寧県の知事に任命され、その在任中に功績を上げたため、中央政府の応天府通判に昇進しました。しかし、わずか一年も経たずに退職し、故郷の蘇州に戻り、文学や書の生活に専念する余生を送りました。
当時の蘇州は文化の中心地であり、その中で彼も詩や書画に優れており、書では「呉中の三大家」、画では「呉中の四才子」と評価され、文徴明とともに称賛されました。
彼の放蕩な生活は有名で、様々な逸話が伝えられています。
金が入るとすぐに仲間と豪遊し、数日で使い果たしてしまい、借金取りの列を引き連れて得意げに閣歩したり、金や権力には一切応じなかった彼の書ですが、なじみの妓女を通して頼めば容易に手にできた。その洒落た態度から、彼は蘇州でもかなり人気を集めていました。
彼は幼い頃から臨書に熱心に取組み、魏晋から宋元の書まで臨模し尽くしました。書論『論書』では、魏晋以来の諸名家の作品を列挙し、長年にわたる臨書の重要性を主張しています。
代表作品では、三国濁の諸葛亮 (孔明)の出帥表を鍾繇風の小楷(小さな字の楷書)で書いたものがある。
〈遥聞點澹香〉
【釈文】
逢聞點澹香近見翠浙色為吾惜花心梅中莫臨篷
澹:穏やか、静か。・浙:川の名前。・篷:茅などを粗く編んだむしろ。
【口語訳】
遥かに聞く一点の穏やかな香り。近く見る浙川の色は翠。船のむしろで、梅の中の花心(うつろい)を目に留めなかったことが残念に思う。
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
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