中国古典 明時代 「解縉」
1369~1415
解縉は、吉水(現在の江西省)の出身で、字は大紳(たいしん)また縉紳(しんしん)といい、号は春雨(しゅんう)と称されました。
幼少期から非常に聡明で優れた能力を持ち、二十歳で科挙に合格し進士となり、高位の官僚として活躍しました。
彼の正義感あふれる仕事ぶりは、当時の太祖帝や永楽帝からも寵愛を受けましました。
しかし、栄達を周囲から妬まれ、反感から悪評が広まり、彼は流転や流罪を繰り返すことになりました。
最終的には、皇帝に意見を伝える際に不手際があったとして投獄され、獄中で悲惨な最期を遂げました。
晩年の不遇により、彼の詩文作品はほとんどが廃棄され、現在残された作品は少ない。
連綿草(れんめんそう)と呼ばれる、文字を二字以上続けて書く表現方法を先駆けた人として知られています。
〈自書詩巻〉
【釈文】
蒼梧城北繫龍州,水接南天日夜流。冰井鱷池春草合,火山蛟室夜光浮。
千家竹屋臨沙嘴,萬斛網船下石頭。伏枕夢迴霄漢近,佩聲猶在鳳凰樓。右過梧州作。
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