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日本古典 江戸後期時代 「貫名海屋(ぬきなかいおく)・菘翁(すうおう)」

1778年―1863年
儒学者・書家・文人画家。
阿波(徳島)の武家、吉井家に生まれ、後に貫名に改姓する。名は直知・直友など。字は君茂・子善。号は海仙・海屋・菘翁など多数。
父に武術を学ぶが、資質にあわなかったらしく、書画に興味をよせ、狩野派の絵師に学び、のちに南宗画に転じた。
京都で須静塾を開いて儒学を講じたが、書家、画家として評判となり、江戸後期の文人画家の巨匠といわれる。とりわけ書は市河米庵・巻菱湖と並び幕末の三筆とされる。
この書状は、死を翌年に控えた頃、菓子屋にあてた手紙と推測されています。
海屋の書風は、楷書では欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿、行書では王羲之、褚遂良、草書では孫過庭に影響されたとされている。
とくに空海の筆跡に心酔し、よく臨模した。こうした空海への思いは、雅号に「海」の字を用いたことにもあらわれている。

貫名海屋「山田公雪冤碑」玄妙臨

・山田公雪冤碑この碑は、石川麻呂の子孫の山田重貞が山田寺(奈良県)に建立したもの。大化の改新の功労者「石川麻呂」が自害してからおよそ千年後、江戸時代に「先祖の無実の罪を晴らして潔白を証明する」ために建てられたという。碑文は褚遂良の筆法を受け継ぐ名品といわれている。

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙


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