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中国古典 唐時代 「張旭」 

生没年不詳。
張旭は呉郡(江蘇省)の出身で、字は伯高。官職としては左率府長史(将軍の補佐文官)になったことから張長史とも呼ばれました。
長安に出て李白、賀知章、顔真卿と親交がありました。草書の名手として名を馳せたこと以外は、詳細は不明です。
張旭は、書を陸彦遠(げんえん)から「陸柬之(かんし)の書法」を学びました。
当時、王羲之・王献之の「二王」の書法を学ぶことが一般的でしたが、彼は型破りな人物だったので、ある時、舞姫の剣舞を見て、草書の筆法を悟りました。
彼は酒を好み、大酔すると大声をあげて叫び、狂ったように走りながら頭髪を墨で濡らして書くこともあり、酔いが醒めると自らの書いたものを見て神品であると認め、世間から「張顛」と称されました。草書の第一人者として広く知られ、自由奔放な書「狂草」を創始しました。※顛:てっぺん

唐の文宗は、李白の歌詩、裴旻の剣舞、張旭の草書を三絶に称しました。
また、杜甫は飲中八仙歌の中で「張旭は三杯で草書の名手である」と詠っています。張旭は飲中八仙の一人とされています。

残念ながら、張旭の書作のうち本物とされるものは現在ほとんど残されていません。

張旭「古詩四帖」玄妙臨

〈古詩四帖〉
北周の文学者で名高い庚信 (子山)の歩虚詞十首のうちの二首と、南朝宋の謝霊運の王子晋讃および巌下一老公四五少年讃、計四首の詩を草書した書巻であり、草書古詩四帖とよばれています。
張旭の特徴である古釵股(折釵股)や屋漏痕などの技法が見られますが、款記がなく筆者については昔から諸説があり、明確に定まっていません。

〈古詩四帖〉
【釈文】
漢帝看桃核,齊侯問棘花。應逐上元酒,同來訪蔡家。北闕臨丹水,南宮生絳雲。

龍泥印玉簡,大火鍊真文。上元風雨散
・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


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