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中国古典 唐時代 「虞世南」 

558年ー648年没
虞世南は、南朝に仕えた名門の出で、浙江省出身です。幼い頃より、沈着冷静で向学心があり、兄とともに「玉篇」編者の顧野王に師事しました。
隋代の煬帝からは、あまり重用されませんでしたが、唐の太宗が即位すると、忽ち要職に抜擢され、弘文館学士(貴族の子弟を教育・学問所の教授)を兼任することになりました。太宗は虞世南の徳行・忠直・博学・文辞・書簡(虞世南の五絶)と褒め讃たえ、生涯を通じて学問や芸術を語り合う友として重用しました。虞世南は優れた学者であり、多くの著書を残しています。
唐の太宗は、書の達人でもあり、王羲之を熱愛していましたが、国家の思想と文化の統一の為、勅命により儒教経典の画一化と楷書の標準化を定め、字体の統一を図ります。この時期、虞世南は中国書道史上最高の書家として、究極の楷書手本を書きました。また、欧陽詢、褚遂良と共に初唐の三大家の1人に数えられ、書の黄金時代を築きました。

虞世南は、王羲之の子孫である師・智永から指導を受け、特に楷書においては右に出る者はいませんでした。二王(王羲之と王献之)の南朝の伝統を受け継いだ温雅(おだやかで上品なこと)で気品にあふれたその書風は「君子の書」と称されました。

「孔子廟堂碑」は、唐代の最高傑作であり、これは勅命を受け書いたものです。内容は孔子の徳を讃えるもので、彼の温厚で謙虚な人柄が素直に表現されています。

虞世南「孔子廟堂碑」玄妙臨

〈孔子廟堂碑〉
【口語訳】
私は東観で書物を扱い、前代の史籍を閲し、先んじていわんとするところを学ぼうとしてきた。もし微妙な動きを知るのは、神妙な能力をもつ者だけで、その叡知をもつ者だけが聖人なら、玄妙な境地は、目や耳でわかるようなものではない。だから三皇五帝の聖人が次々にこの世に現れ、三墳五典と呼ばれる聖典にそれを著わしたのであり、神妙な功業も聖人の足跡も、言葉として表し、木に彫った最初の文字が作られ、初めて六爻八象が分けられた。聖人の治め方は、衣服を垂らすように傍観していても世の中が治まる気風の時もあれば、湯王や武王が夏や殷を滅ぼし革命をおこすような功業がおこる時もある。殷と周のように、質と文が目指すところを異にし、封禅に対する態度に進んで行なうものと謙譲するものがあるように、各王朝により異なれば、各々の王朝の聖人達は、必ず河図·洛書を拝観し、天から授かる瑞祥の印を受けとった。・・・ 

・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


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