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中国古典 北魏時代 「鄭道昭」 

?―516年没
鄭道昭は滎陽開封(河南省)の出身で、字は僖伯といいます。
漢代から儒学を中心とする学問を行う家系に生まれ、父の文公も儒学の人でした。少年時代から学問に興味を持ち、多くの書物を読み漁り、漢詩の才能もありました。また四書·五経等の経学に詳しく、才能豊かで、自ら中岳先生と称ました。
北魏の高祖孝文帝に仕え、官吏として、国立大学の学長や山東省の液県や益都県の知事を務めました。また寛容な市政を行なったため、人々から信望を集めていました。
彼は儒家の謹厳さと道家の自然を愛する雄大な気分で詩文を作り、各地の山に残しました。

その作品は現在、葛山、鐸山、祖件山、雲門山、水牛山、玲瓏山、雲峰山、天柱山、太基山、百峰山など各地に大小合わせて五〇種程残っています。

〈摩崖碑〉
摩崖碑とは中国各地にある自然の断崖に意味を持った文字が刻まれたものです。

論経書詩は 雲峰山の巨岩に刻されたもので、岩の大きさは最大3.2×3.2mで、全文324字から構成されています。
この詩は、神仙道の経書を論じるために作られた五言古詩で、世俗を逃れ、雲峯山で仙人と交流し、不老長生の術を得て安息すべきことを悟った体験を詠じています。

鄭道昭「論経書詩」玄妙臨

〈論経書詩〉
【釈文】
詩五言。與道俗□人。出萊城東南九里。登雲峯山。論經書一首。魏中書侍郎・通直散騎常侍・國子祭酒・秘書監司大中正出


・玄妙個展2021「古典漫遊〜文字の変遷をたどる〜中国編」
・玄妙個展2022「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」
・玄妙個展2023「古典漫遊 中国書法から日本の書まで文字の変遷をたどる」

墨玄会 主宰 玄妙 


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