母ですら正しく理解していない
子宮内膜症が発覚し、ジエノゲストを飲むということが決まった時、母に報告をしました。
その際、簡単に説明するため、生理周期に合わせて症状が悪くなるので生理を止めるということを話し、病院でもらったモチダの冊子を渡しました。
もう手元にないので内容ははっきり思い出せませんが、イラストを使ってわかりやすく説明されていた記憶があります。
この冊子を読めば、子宮内膜症がどういう病気なのか、どのように悪化していくのか、どんな治療方法があるのかがわかります。
また、偶然にもほぼ同じタイミングで子宮内膜症で卵巣の手術をした親族がいました。
なので、母はこの病気のことと、どんな治療をしているのかわかってくれていると思っていました。
それから約3年。私が先日AMH(卵巣年齢)の検査を受け、数値的に妊娠は難しいかもしれないということを母に告げました。
AMH検査の詳細については別の記事で書いているので割愛しますが、その話をしたときには母に励まされ、落ち込んだ心を立て直すことができ、「やはり母は偉大!」って思ったのです。
で、す、が!
その約1か月後。
家族で実家に集まり、楽しく食事をした晩。
きょうだいが母と食卓に残り、お酒を飲みながらいろいろな話をしたようです。
その中で、私がAMHの検査をした話や私の彼の話もあったようで、その話の流れから「子どもは授かりもの」という言葉が母から出たそうです。
具体的な文脈はきょうだいから聞いただけなのでわかりません。
でもきょうだいはその言葉にいち早く反応し、「いや、genmaiは薬を飲んでるんだよ。生理を止めてるんだから、自然に授かるなんてあり得ない。望まない限り子どもはできないんだよ!」と反撃?してくれたそうです。
その言葉に、母は「そうなの?」と言ったと。
その話を聞いたとき、驚き拍子抜けしました。
「え!?病気のことも薬のことも話したじゃん!」と。
けど、考えてみたら、別々に暮らしている母にとっては「たまに聞く娘の疾患のはなし」程度の認識なんだろうなと気づいた。
毎日薬を飲んで日々無意識にでも病気を感じながら生活している私は、母も同じ温度で私の病気のことを知っていると思い込んでいたけど…
母娘の会話を思い出してみれば、病気についてはたまにしか話していない。だから、その瞬間瞬間は話を聞いてわかってくれていても、数日たてば忘れてしまう。病気を「理解」してもらえるほど会話をしていないから、「子宮内膜症っていう病気らしい」くらいの認識なんだと気づいた。
子どもが望めないかもしれないって話をしたときに、なんでAMH検査を受けたのか説明したつもりだったけど、そもそも「自然に授かることはありえない」という前提があるのとないのとでは、理解が変わってくるなと思った。
高齢出産が増えてきたのもここ10~20年くらいのことで、母の時代と今の時代の常識や情報は大きく変化している。
私が「高齢出産」やそのリスクを理解したのはここ10年のことだし、それもメディアの報道があって自分のアンテナに引っかかって調べたから蓄えられていった知識。
子育てが終わっている母が、知識のアップデートをできるわけがない。
今回のこの記事で伝えたかったのは、病気のことは思ったほど他人には伝わっていない。たとえそれが親子であってもこの程度、ということ。
当然相手との関係や相手の人自身の性格によっても変わってくるけど、それくらい理解されないことだと自覚したうえで、自分の病気のことを理解してほしい人には伝えていく必要があると思います。