トマス・ハーディ『恋の霊 ある気質の描写』訳者解題
当時の出版業界とハーディの対立
ハーディの作品といえば、発表当時に酷評されたのち文学史に残る名作として認められた『ダーバヴィル家のテス』を挙げる人が多いだろう。本作『恋の霊』の執筆が、『テス』の連載を終えて単行本化に向けて推敲を重ねていた時期と重なっていることは、本作品を一層興味深いものにしている。これらにまつわる一連の出来事を見ると、当時の出版業界が小説の作者にかける制約のなかで、ハーディがいかに時代を先取りしていたかが分かるからである。
『伝記』によると、1889年には完成していた『テス』は、出版まで苦難を強いられた初めての小説だった。ティロットソン、マレイ、マクミランの各社から、「性的に露骨である」とか「欲情をそそる」という理由で、出版を拒まれた。問題があるとされた2カ所、主人公テスが処女を失う場面と、私生児として生まれた赤ん坊に自分で洗礼をほどこす場面は手直しの上、前場面は「ナショナル・オブザーヴァー」に、後場面は「フォートナイトリー・レヴュー」に掲載してもらった。本体も手直しして「グラフィック」[03]に掲載してもらい、最終的に『恋の霊』と同じ、オズグッド・マキルヴェインという小社に単行本の出版を引き受けてもらった。『恋の霊』の連載版「恋の霊の追跡」は、前作『テス』がなかば活字になってから、出版を断念させられた後、当時、小説作品の仲買いを手がけていたティロットソン社に埋め合わせとして提供された。
このエピソードの背後には、当時の小説の出版事情や読書状況が垣間見える。印刷技術が今ほど発達していなかった当時、豪華3巻本あるいは1巻本という商品は高価すぎるため、本は買うものではなく借りるものと庶民は考えていた。さらに識字率も今より低く、雑誌や本はおもに家庭で数人が輪になって、文字を読める人が読み、それを皆で楽しむものであった。そのため、青少年から高齢者までみんなそろって面白いと思えるだけでなく、「安全」なものでなければならなかった。これを「グランディズム」(grundyism)[04]と言う。
出版社と読者の間に、ムーディー(Mudie)らの貸本屋が介在して、出版社は危険を避けるために作者にまず雑誌への連載をすすめ、そこで商品となりそうかどうかを判断した。貸本屋が治安・公序良俗を取り締まる法[05]の後押しを得て、出版社に圧力をかければ、出版社も安全に利益を得たいので作者に圧力をかけた。
世間からの酷評に加え、もともとできあがっていた作品をバラバラにして連載した後で元の形に戻して単行本にする作業で疲弊したハーディは(コピー機もパソコンも無いこの時代、こうした編集作業は、相当骨の折れる労苦だったに違いない)、連載版を渡したティロットソン社に、『恋の霊』には、口うるさいタイプの読者を苛立たせる要素は一切入れないとの趣意書を提出している。
過渡期にあった小説の読者たち
前述のように、小説はその誕生当時、貸本屋から借りるものであり、家族や友人間で一緒に読み楽しむものであった。しかし、技術の進歩により本の値段が安くなるにつれ、また図書館なども多く設置されるようになり、識字率が向上していくにつれ、小説は皆で読むものからひとりで読むものへと変化していった。
そして、それまではディケンズのように、社会の有様や様々な登場人物たちの人間関係を描く小説が主流だったのが、だんだんと心の動きや人間の本質の描写というような、より内向きの内容へと変化していった。ハーディはそのような時代の過渡期にいた。
駆け出しの頃は、ハーディも古い状況に甘んじていた。1888年にニューヨークの「フォーラム」に、「有益な小説の読み方」(The Profitable Reading of Fiction)というタイトルのエッセイを寄稿したが、小説には色々な効用があるとして、気ばらしのため、教訓を得るため、想像力によって照らし出された人生そのものの本質を見るための三段階の読み方を認めている。つまり既存の小説のありようを認め、青少年から高齢者まで幅広い読者を想定していることが窺える。
しかし、『テス』の執筆をしていた1890年頃になると、一転して、「ニュー・レヴュー」誌が企画したシンポジウムに「英国小説の率直さ」(Candour in English Fiction)を寄稿し、英国小説の置かれた出版事情が、小説の自由な芸術的発展を阻害しているとして、家庭内で家族がそろって読む小説作品の媒体となっていた雑誌を、大人と子供、ハイブラウとロウブラウなど、読者の種類と趣味によって分化すべきであることを主張している。
現代であれば、雑誌が読者層によって分けられているのは普通であるが、その頃は、小説ばかりではなく、ニュース、政治、旅の記録、ファッション、家事など家族全体に向けた雑多なトピックの詰め合わせが、一般的な定期刊行物の内容であった。子供も手に取れるような雑誌に、主人公の女性が雇い主にレイプされ私生児を産み、その過去を告げられぬまま結婚へと至るのは、いかに本人が家族を守るために己が身を犠牲にしたといっても眉をひそめる読者がいるのは間違いない。出版社が二の足を踏んだのは当然といえば当然のことである。
そして、そのような葛藤の後に書かれた『恋の霊』は、趣意書にある通り、問題になりそうなシーンは書かれていない。しかし、だからといってハーディが古いやり方に戻ってしまったと考えるのは早計である。『恋の霊』には社会は描かれず、ピアストンの内的世界が描かれている。この内向きの指向は、ヘンリー・ジェイムズ(1843‐1916)やヴァージニア・ウルフ(1882‐1941)の小説に通じるものがある。この二人の小説家たちが、「視点」や「意識の流れ」などの新しい技法を開発して、20世紀の小説を変革したことを考えると、ハーディの先見の明が光っていると感じられる。
恋の霊』と『日陰者ジュード』の関係
『恋の霊』の連載版である「恋の霊の追跡」は、1892年10月から12月まで週刊誌「イラストレイティッド・ロンドン・ニューズ」に連載された【図1】[06]。同時期にアメリカの週刊誌「ハーパーズ・バザー」にも連載され、その後に大規模に改作され、一八九七年にイギリスとアメリカで単行本として出版された。
『恋の霊』の執筆が、『テス』の単行本化に向けた推敲だけでなく、『日陰者ジュード』の執筆の時期と重なっていることも見逃せない。『ジュード』と連載版「恋の霊の追跡」は、恋愛と結婚のテーマに共通点が存在していたが、ハーディはテーマの重複を避けるため、このテーマを『ジュード』で充分に扱い、『恋の霊』からは、連載版から一巻本にまとめる際に省いている。
ハーディは、連載版「恋の霊の追跡」終了から単行本を出す際に、五年かけて大幅に改訂をした。連載版では冒頭にあった、過去の女性たちからの手紙を捨てようとする場面、主人公ピアストンとマーシャとの出会ってすぐの結婚、彼女が出奔した後のアヴィシー三世との結婚やピアストンが自殺しようとする場面を削除し、新たに「恋の霊」の実態を友人に語る場面や、再現したマーシャとの結婚などの喜劇的結末などが書き加えられている。
これらの違いの中で最も大きな点は「結末」の変更である。連載版では、母親の願いを叶えるために意に染まぬ結婚をしたアヴィシー三世が、体調を著しく壊した昔の恋人を放っておくことができずに、ピアストンの了解を得て看病する。二人が自然な本能に基づいて惹かれあっていることを感じたピアストンは、身をひいて二人を結びつけようと決心する。しかしこの時代、一度結婚をした者が離婚をすることは容易ではない。そこでピアストンは最初に結婚したまま行方不明になっていたマーシャを捜し出して、アヴィシー三世との結婚を無効にしようとする。
しかしながら、マーシャが見つからなかったため、ピアストンは自分さえいなくなればアヴィシー三世は未亡人となって再婚ができると考え自殺しようとする。オールの無いボートを使って溺死しようと沖へ出るのだが、結局救出されてしまう。そこに現れたマーシャの看病を受け、老いさらばえた彼女の姿を見て〈自分はロマンチックな人生を送るはずだったのに、こんな終わり方はあまりに滑稽だ〉と自嘲して終わる。
連載版「恋の霊の追跡」には、アヴィシー三世にとってピアストンとの結婚は彼女の意思に反していて、この制度によって妻が拘束されて苦しむのは、制度自体に問題があると彼が認識するところが描かれるが、これは、『ジュード』のテーマと共通している。ハーディは、この主要テーマを『ジュード』で、さらに掘りさげ、議論を含めながら広く社会のなかで描き、この制度の根本にあるキリスト教への懐疑を込めて扱っている。
しかしながら、一巻本の『恋の霊』では、社会制度としての結婚はテーマからほぼそぎ落とされて、女性に惹かれる主人公の性向を、社会的視野や議論を避け、美や芸術作品創作の問題として扱っている。このように連載版を大幅に改訂したのは、一巻本の恋愛と結婚の扱いが『ジュード』と重複するのを避けたかったからという推測が成り立つのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、トマス・ハーディ『恋の霊 ある気質の描写』をご覧ください。
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