スタール夫人『三つの物語』訳者解題(text by 石井啓子)
新たなスタール夫人研究
固く閉じられていた、日本におけるスタール夫人研究の重い扉を一気に開くことになったのが、2016年に刊行された、工藤庸子氏による『評伝 スタール夫人と近代ヨーロッパ——フランス革命とナポレオン独裁を生き抜いた自由主義の母』(東京大学出版会)です。スタール夫人のアイコンといってもよいかもしれませんが、異国風のターバンを頭に巻いた貫禄たっぷりの女性の姿ではなく、柔らかにうねる豊かな巻髪にリボンをあしらった若い令嬢の肖像(1797年のジャン゠バティスト・イザベイによる鉛筆画)を表紙に掲げたこの一冊は、その生い立ちから最期に至るまで、可能な限りの、しかし、じゅうぶんに厳選された資料を踏まえた上で、「自由」「個人」「政治」「女性」という4つのキーワードでスタール夫人の生涯と作品を読み解き、その独自の視点から、スタール夫人を文学史上のありきたりの紋切型から鮮やかに解き放っています。歴史家であるフランソワ・フュレとモナ・オズーフによる『フランス革命事典』に拠り、ミシュレやバチコらにも触れながら、刻一刻、目まぐるしく変化してゆく史実を追い、複雑に絡み合う情勢と人間関係の中で、スタール夫人の政治・社会思想の動きを掘り下げるいっぽう、多分野にわたって残された膨大な著作を、たとえば、文学作品であれば、マルク・フュマロリ、ポール・ベニシューらの難解な文学理論を自在に使いこなしつつ、やはり独自の視点から解読してゆく、このまったく新しい「評伝」の衝撃的な魅力は、とうてい一言で表わせるものではありません。真剣にスタール夫人に向きあいたいと思われる方は、直接手に取ってお読みいただくしかないと思います。
フランス革命からナポレオン執政の一時代を、畏れや躊躇とは無縁に思える、溢れる活力と迫力で生き抜いた、きわめて知性的なひとりの女性の姿が工藤氏によって示された以上、スタール夫人を「文学」や「作家」という狭い枠組みの中でとらえ、「前期ロマン主義の母」といったステレオタイプを踏襲してゆくことが完全に時代遅れであることを実感させられます。「文学」「思想」はもとより、「社会」「歴史」「政治」「宗教」という広範な領域において、さらに新しいスタール夫人像が提示されてくることが予感されますし、また大いに期待されるところです。
既存の民主主義国家においてさえ、そもそも民主主義とは何かという新たな問いかけがなされるようになっています。2020年に翻訳出版された『リベラリズム 失われた歴史と現在』(青土社、2020年)において、スウェーデン出身でニューヨーク州立大学教授であるヘレナ・ローゼンブラット氏が、歴史学者・政治学者の立場から民主主義の「失われた歴史」を探る中で、近代民主主義の基礎を築いた立役者としてクローズアップしているのが、まさにスタール夫人と、その愛人であったとされる作家、バンジャマン・コンスタンの存在です。
2021年1月19日付朝日新聞朝刊の「米保守・リベラルの混迷」と題したオピニオン記事の中で、ローゼンブラット教授は、民主主義思想は英米の専売特許ではなく、フランスやドイツなど様々な国の歴史的経験の産物であるとし、リベラリズム思想の発展に大きく寄与した人物として、「たとえば十八世紀から十九世紀のフランスで活躍したスタール夫人とコンスタンがいます。十分に評価されていない思想家ですが、政治的概念としてのリベラリズムの誕生に重要な役割を果たしました」と語っています。「当時、ポピュリスト政治家という言葉はありませんでしたが、ナポレオンが国民の支持で権力を握り、反対する者を弾圧しました。それに対抗して、自由や寛容を大切にすべきだと主張したのが彼らでした。ポピュリスト政治家が国民を扇動し、『我々こそ人々を代表する』と、好き放題をする。〔民主主義思想は〕その時、個人の自由を守るための考えとして生まれたのです」と、民主主義が確立される上で、スタール夫人とコンスタンの二人が果たした貢献の意義を語っています。日刊紙の、文芸欄ではなく、一般のオピニオン欄でスタール夫人の名前を発見したことに驚く自分の意識の遅れを痛感したことも書き添えておきたいと思います。
文学史の上で長く受け継がれてきたある種のステレオタイプを脱却するスタール夫人論がこれからどのような形で展開してゆくのか、新たな期待を感じています。
このたびご紹介する作品『三つの物語』は、波乱に満ちたスタール夫人の生涯を見渡すと、そのごく初期に書かれたものです。『断片集』が刊行されたのは1795年でしたが、同じ年に刊行された第二版には、最初に述べたとおり、ごく短い序文が添えられており、そこには『三つの物語』を執筆したときには、自分はまだ二十歳になっていなかったと記されています。スタール夫人が生まれたのは1766年ですから、序文の言葉をそのまま受け取るならば、『三つの物語』が執筆されたのは1786年より以前ということになります。フランス革命が社会を根底から揺るがせ、それとともにスタール夫人の人生が歴史の大きなうねりの中に取り込まれてゆく、その前に書かれた、まさに「若書き」の小説なのです。場合によっては見過ごされてしまっても仕方がないような、そんな作品かもしれませんが、同時に、あとに続く精力的な執筆活動とその膨大な著作全般のまさに出発点として、その全貌を知る最初の手掛かりともなりうるものだといってもよいでしょう。
また、作品のジャンルにあまり意味はないかもしれませんが、いちおう「小説」というものに限ってみると、理論家として『文学論』を堂々と掲げる当の人物が実際に小説も手掛けている以上、少々意地が悪いようですが、それが本人の「理論」を裏付け、じゅうぶんに説得力をもつだけのものであるのかは、おおいに興味をそそられるところではあります。代表作である『デルフィーヌ』と『コリンヌ』の二篇は、まさに大長編小説であり、小説家としてのスタール夫人の「お手並みを拝見する」という点では、いささかとっつきにくいかもしれません。『三つの物語』は、「若書き」のものであったという点を差し引いたとしても、「小説家」としてのスタール夫人に、実際に、しかも気軽に接していただくにはおえ向きの作品であると言えるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。本篇はぜひ、『三つの物語』をご覧ください。