できないことはあってもいい?
お疲れ様です。木下です。
前回のnoteで作るもののイメージについて考えていましたが
小さな一歩を歩み始めていました。
とはいっても考えては、人に話を聞いて、なんか違うなの繰り返しです。
例えば・・・
・親向けの子育てに関する教育の仕組みを作ろう
→親は自分に投資するなら子供に投資する
・子供向けのいろんな体験が経験できる仕組みを作ろう
→親が最終的にやるやらないを判断するため子供に届かない
・子供と親のコミュニケーションを促す場を作ろう
→親は忙しすぎてそんな場には来ない
・子供の習い事の送迎を手伝って親に余裕を、子供には振り返りを届けよう→それくらいなら親はお金を払わない
ざっとこんな感じです
行き詰って、ボーダーレスアカデミーさんの講座に参加してみました。
すごく濃い2日間で、ビジネスの作り方と自分が描きたい未来について考え直す機会となりました。
そこで感じた/学んだことは
・本当に大事にしたいことは「”周囲からの期待”と”本人の想いや能力”の一致を増やす」ということ。
・自然と遊びが好きで、それらで人とつながることがもっと好きだということ。
・親や子へサービスを届けることはあくまでもこの世界観を表現するための手段であるということ。
・親や子以外にも首を突っ込んでみればいずれ思い入れも生まれるということ。(原体験がなくてもいい)
ということでいろいろと考え直しています。
文章を書く調子が上がってきたのでここ最近の話もつらつらと。
会社では営業職から異動となりました。
顧客との対人関係・顧客からの情報収集に苦手意識があり、自分なりに向き合ってきましたが最後までうまくやることができませんでした。一番最後の営業ロールプレイングでも最低評価でした。
人生でこれだけ時間をかけて、これだけうまくできなかったことが初めてで挫折の毎日でした。
自分のことがすごく嫌いになった時期もあったし、営業という場で輝けている人たちが憎くなった時期もありました。
でも最近は、「どうしても苦手で、できないことがあってもいいじゃない」と思っています。
できない自分を認められないととてつもなく疲弊するし、自分にしか目が向かなくなって、自分にしかエネルギーが使えなくなってどんどん負のループに入っていきます。
※ひっそりと体調を崩し、ひっそりとASD(自閉症スペクトラム障害)の診断を受けたことで、自分の特徴上の問題で相手の立場に立ったコミュニケーションを取ったり、自分のこだわりを曲げたりすることが苦手だとわかったことがきっかけです。
ついつい周りの反応や評価が気になりますが、自分以外(相手とか未来とか)をコントロールすることはできません。
自分以外をコントロールできるかもと思うから悩み始めると思うのです。
自分がアクションして揺らぎを起こして、自分以外から何かしらの反応を得て、それを楽しむめるといいなと思います。
というわけで、引き続きイメージして、人に聞いてみてを繰り返して作っていきたいと思います。
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