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Essays .Number | #10 「なんか、いい。」ということば

言葉にできないけど「なんか、いいなぁ」と感じることがごくたまにある。

ちなみにこの感覚におちいる時は、
何がどうよくて、どうしていいのかは全く言葉にできていない。

「言葉にできること」は正しいことになりがちだ。
言語化は相手に自分の考えや感情を伝える上で非常に大切なことだし、自分自身を知るきっかけにもなる。

ただし、日常が移り変わっていき環境も変わり、忙しくなくなっていくと、自分の感情や感覚に蓋をしてしまうことがある。

合理的な判断のみに自分を置いてしまうことで、目的がないことが自分なかで絶対悪になっていく。

そんな時に、ある景色を見た。

以前住んでいたシェアハウスの屋上からの夕焼けの景色。

白が基調のシンプルな階段と、80年代に建てられた古い内装。
屋上に上がり、外に通じる扉を開ける。夕暮れのドコモタワー、車の音や人々の声。東京という自分の居場所のようで違う少しの緊張感、手前に見えるマンションや家々には人の営みとほのかなあたたかさ。

2020年10月千駄ヶ谷、シェアハウス屋上にて。
またコロナが流行する前だった。

見知らぬようで知っている程よい緊張感のなかに見える人間の生活は、自分がこの場所に生を受けていることを実感できたし、何よりも当時の自分にはそれが美しく見えた。

「なんか、いいなぁ。」

いつも見えていた景色なのに、状況で感じ方は大きく変わってくる。
それは本当に生物(なまもの)でその瞬間は一期一会だと思う。

だからこそ、その時に感じたことは言葉にしにくいし、どうしてそんな感情になったのか原因を見つけるのは難しい。というより覚えてない。(笑)

それでも今でも鮮明にその景色が覚えているのだから、自分にとって大切な瞬間だったことは間違いない。

情報も環境の変化も加速していくこの世の中で、日々の瞬間を見つめにちょっと寄り道してみることで少しでも自分の「なんか、いい」を増やすしてけたらいいなぁと、思う。

少しだけ毎日が感情的で人間らしく、豊かになるように。

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