No.3 美学

自分なりの美学とは

たまにそんなことを考える

今日はそのたまにの日だった



自分は日々を生きていく中で何か壁に直面した時

自分の理想や信条、美意識を引っ張り出し

それらに則ってその壁に立ち向かったり避けたりしている気がする



そう、避ける時もある。もちろん信条に則ってだ。

つまりこの壁は自分の信条や美学に沿った道には
存在しない壁だと気づいた時だ。



ただ大事なことを忘れていた。
自分の信条、美学を言語化して記録したことがない


つまりその壁から避けられるような美学を無意識的に持ち出してきている可能性がある。
もちろん生きていく中で自分の中の美意識は変化していって当然だがそれとこれとは話が別だ


今日ふとこんなことを考えたきっかけはYouTubeの自動再生でこんな動画が流れたことだった。

内容
悩み多き10代の若者が悩みや主張をぶつけあう。
そこに大人のゲストが加わりバチバチ討論

43:40に美学というワードが出てきた。


これを見たあと美学について考えるとパッと真逆の
美学の典型のようなものが頭に浮かんだ


 漫画などでよく登場する何でもそつなくこなす系
無駄なし合理的エリート

 アーティストの口からよく聞く(自分は)
無駄のない合理的な人間なんてつまんない


この2つの美学。どちらの美学もそれぞれ一定数
支持者はいるんじゃあないだろうか



並べてみたら自分は後者の美学よりの人間
(正確に言うと前者の要素も部分的に取り入れた)

なのに、、ここまできてようやく

自分がこれまで壁にぶち当たった時
前者の合理的思考を持ち出して、
合理的エリートの美学に目をデタラメに輝かせて…

立ち向かわなければいけない壁を
メリットがない。他にやることが山ほど。と
避けて通ったことがあるなと気づいた。


このままやったあかん。
できるだけ
美学は言語化して抽象化して記録しよう。
見失わないように。変化を楽しめるように。

できるだけ、だ。

全部言語化抽象化なんて
できやしないことは知っているから。
だから比喩がある。音楽がある。
比喩でしか表現できない観念がある。
と思う。
これについてはまた後日。
愛してやまないRADWIMPSの魅力と共に。



んー…
記録しなければ忘れ、揺らいでしまうようなものは そもそも信条や美学なんてものでは無いのだろうか

分からない。ただ、いま思うことは
美学が確固たる美学として定着するまでの時間は
あってもいいということ。
自分にとって美学は確固たる必要があるのかという疑問。


美学についての問はまだまだ続く。

             ...to be continued







Pokemonかよ

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