覚えてない
お酒の失敗談としてよく出てくるフレーズ。
紐づく話は大体情けないけど、人間が出るエピソードが多いからいいなと思う。
言ってみたい。
でも言ったことはあんまりない気がする。
まず、泥酔するまでそれほどお酒を飲む機会がない。
最近は二日酔いが嫌すぎてあまりお酒を飲まない。
あわせて、多少は呑める口なので自分の言動を覚えていることが多い。
ただ最近、日常的なことの覚えていないが時々あり悲しくなっている。
記憶力にはかなり自信があり、タスクリストの管理や誰かがあの場面で言った何か、ちょっと前のCM、見たばっかりの映画のセリフ等だいぶ覚えている方である。
余談だが、本編を見ていないが予告編を見ているので見た人と同じくらいの熱量で概要説明ができるってことに最近気がつき小さく特技の欄に加えた。
自分のことを覚えていない。
特にショックだったのは、高校時代に打ったホームランがどの学校でどんな場面だったかを瞬時に思い出せなかったことだ。
野球の熟練度は月並みで、ベンチウォーマーとして活躍していた期間が長いためにホームランを打つなんてメモリアルな出来事は脳のしわに刻み込まれていると思っていた。
人生で柵を超える打球を打ったのは2度だけ。
それなのに具体を全然思い出せなかった。
友達と話しながら記憶をたどって、スコアボードを頼りに思い出せたが、
1試合で27点も取った試合で、さながら死体斬りの如くホームランを打っていた。
その他にも思い出せなくて悲しかったエピソードが最近あったのだが、
それすらも覚えていない。
なぜ悲しくなるのかを考えた。
過去の記憶は自分が生きた時間軸の同一線上にある。
だから、私が経験していることには違いない。
しかし、覚えていないと分かった時点で、ではそこで何らかの感情をもってしたことは果たして本当に実在したのだろうか疑ってしまった。
過去にすがるわけではないがあったはずのものがないと思えてしまったことにすごく悲しくなってしまったのだ。
前述の通り記憶力には幾分か自信があったからなおさらなのかもしれない。
自信があったからこそ全部を覚えていたいと思っていた。
来年25歳になる。
そりゃ生きているだけ記憶はどんどん多くなるから、覚えていないこともそれに比例して多くなるに決まっている。
それを受け入れていこうと思う。
そう思った矢先、先日思い出せなかったことをひょんなことから思い出せた。自力で。
高校時代に何度か行った担々麺屋さんの名前が思い出せなかったけど、
ある日のお昼に担々麺を一すすりしたときにゴマの香りにつられて舞い戻ってきた。
何が記憶のトリガーになるかわからない。
必死に生きよう。