「さいたまマラソン」を盛り上げる学生ボランティア
昨日(2月12日)は、埼玉県さいたま市で開催された「さいたまマラソン」に立教大学チームとして参加。ボランティアとして、「35km地点給水所」の運営に携わった。
さいたまマラソン
2019年まで開催されていた「埼玉国際マラソン」以来、4年振りにさいたま市で開催された「さいたまマラソン」は、さいたまスーパーアリーナを発着点としている。市民マラソンとして新たな船出となった今回は、1万5000人を超えるランナーが参加したそうだ。
立教チームでのボランティア活動
今回は、立教大学ボランティアセンターが主催する「立教チームで活動する1dayボランティア」の一環として、さいたま市と連携し活動を行った。元々、プログラム化をねらって(構想して)いた機会だったのだが、たまたま今年度さいたま市の担当職員から本学にお声がけいただき、運良く(?)実現した念願の機会でもあった。
この間、ボランティアコーディネーターである私は、さいたま市の担当職員と連携しながらこのプログラムを設計・調整・運営してきており、一度学内で事前説明会を開催。チームビルディングや活動内容の共有、当日使用物品の配布などを行っていた。
そして迎えたのが当日である。
立教生のボランティアデビュー
「立教チームで活動する1dayボランティア」は、1日という超短期の活動であるため、学業(正課の学習)やアルバイトなどで忙しく過ごしている大学生であっても、時間を調整して参加しやすい。
さらに、同じ大学の学生でチームを組んで参加すること、専門職のボランティアコーディネーターが同行して一緒に活動することで、”初めて”のボランティア活動を不安に感じていたり、参加の一歩を踏み出せずにいたりする学生にとって、参加ハードルが低いプログラムにしている。
多くの立教生にとって、ボランティアの世界の入口になっているプログラムであると言っても過言ではないはずだ。同時に、それらの学生にとって、今後の「ボランティア観」を左右する活動にもなっている。
今回の活動でも、多くの学生が”ボランティアデビュー”を果たすこととなったわけだが、学生たちはボランティア活動を通して何を感じ、何を学んだのだろうか。
35km給水所の運営
「35km給水所」は、前半部で「スポーツドリンク」を配布、後半部で「水」を配布するという構成だった。ランナーが、味の濃い飲み物→味の薄い飲み物という順で口にできるようにしているそうだ。
今大会では、コカ・コーラ社がスポンサーになっているため、スポドリは「アクエリアス」、水は「いろはす」であった。
我々は、スポドリの配布を担当。選手が前後にテーブルを構え、前のテーブルでは選手が取っていきやすいようにスポドリの入った紙コップを設置。後ろのテーブルでは、前のテーブルのストックとして、紙コップにスポドリを入れていった。
選手に提供する紙コップ(スポドリ)は、スピードにのった選手がキャッチしやすいように配置間隔を調整しなければならない。貴重な給水機会を選手が活用できるようにという思いと、紙コップが倒れることで溢れ出たスポドリのせいで周りがベタベタにならないようにという思いで、その都度調整をする。
ちなみに、選手に直接スポドリを渡すことは、ランナーへの援助となってしまうため禁止されている。
スポドリを提供すること以外にボランティアができること、それは応援だ。学生たちは大きな声を出して、出し続けてランナーを応援した。時折、ランナーから「応援お願いしまーす!」と声をかけられることもあった。
また、「ボランティアの皆さん、ありがとう!」という声をかけてくださるランナーも大勢いた。
応援の声、そしてボランティアの存在がランナーの頑張りを後押ししていたことは間違いないだろう。
ボランティア活動を経験して…
活動後の振り返りでは、多くの学生が「ボランティアが一方的にランナーを支えるのではなく、ランナーの感謝の言葉や声掛けによって自分たち(ボランティア)が支えられることもあった」と話していた。
特に、ボランティア=支える人、というイメージがあった学生は、実際に活動を経験することで、その違いを実感したようだ。
私は学生たちに次のような問いを共有した。
「ボランティアの皆さん、ありがとうございます!」と言っていたけれど、どうして「スタッフの皆さん」ではないのだろうか。ただ「応援ありがとう!」でもいいはず。なぜランナーは、「ボランティア」に対して声をかけたのか。ランナーは、「ボランティア」をどのような存在だと認識していたのだろうか。
その答えはもちろん私にもわからない。しかし、身近な問いから自分の新たな一面について考えることにおもしろさがあるのではないかと思う。
ボランティアデビューを果たした学生の「ボランティア観」は、今後どのように変容していくのだろうか。
活動後の感想として、経済的価値とボランティアの距離から、ボランティア活動の価値・可能性について言及(自分の経験を整理)した学生もいたが、そうやって答えのないボランティア活動の世界、言い換えるならばボランティアという関わり方で接する地域・社会のおもしろさを味わっていってほしい。
もちろん私も、ボランティアコーディネーターとして、その側で共に地域・社会をおもしろがるわけであるが…。