勇気

勇気とは、無謀むぼうに似ると思います

決して同一ということはないと信じたいのですが、その本質は果てしなく近しいように思えるのです

何かに挑むにあたり、それが困難であると予めわかっていたとして、あなたはそれにのぞむでしょうか

失敗を恐れない人はいませんから、リスクに見合ったリターンが用意されているからと言って、十中八九達成できないことに挑戦する人は少ないでしょう

なら、困難であるとわかっていても、それを解決する算段がついた場合はどうでしょうか。リスクを減らして、成功の確率を高められたなら、それに挑む気持ちが湧いてくるはず

けれど、この場合僕は湧き上がったその気持ちを、"勇気"ではなく"勝算"と呼びます

勝つとわかっているからこそ、人の命を資源に変換する行為たる、いくさを仕掛けることができる。勇気だけではそんな決断は難しい

勝算を勇気の一要素として考えることもできますが、ここはあえて切り分けて考えます。簡単に、勝算と勇気の二つの値の総和がある一定の水準を超えることで、人は行動を起こす事ができると解釈すると、わかりやすい

勝算が少なければ少ないほど、実行からは遠のいていく。そこで勇気を無理やり膨らませて量を稼ぐことでハードルを超え、リスクを承服して行動を起こすことが可能になるのです。勝算が多くあれば、ほんの少しの勇気だけで行動が可能になる。逆に、まるで勇気が出ずとも、納得するための材料を多くかき集めて多くの勝算を得ることが出来たなら、人は実行が可能になります

いかがでしょう、『勇気は無謀に似る』と言った意味、伝わったでしょうか。説明に則して正確に言い表すなら、

「人は勇気と勝算によって行動を起こすが、勝算が少ない場合、行動にはより大きな勇気が必要とされる」

勝算もなく飛び込むのは、まさに無謀そのもの。勇気は無謀に似ると言ったのは、このためで、動機のほとんどを勝算ではなく勇気に依存しているなら、それは無謀と言わざるを得ないでしょう

少々話は変わりますが、「勇気と勝算の総和がある一定の水準を超えた時に、人は行動を起こすことが出来る」という話を元に、リスクを取る人取らない人について考えてみたいと思います

思慮深く慎重な人間、悪く言ってしまうと腰が重く臆病な人は、物事を実行するために必要な勇気と勝算の値が高く、また出力できる勇気が少ないために多くの勝算が必要であると言えるでしょう。時間をかけて勝算を沢山集めて、自分を納得させることでやっと行動に移すことができる

一方で決断が早く大胆な人間、悪く言えば考え足らずで怖いもの知らずな人は、物事を実行するために必要な勇気と勝算の値が低く、出力できる勇気が高いがために、多くの人が実行するのに高いハードルを超える必要があることを、少しの勝算と自前のあふれる勇気で軽く実行に移せてしまうと言えると思います

さて、大きな成功を掴み取る人、と言われるとあなたはどちらの人物像を思い浮かべるでしょうか。多くの人は後者を挙げるでしょう。実際問題、ローリスクローリターンを100積み上げるよりも、ハイリスクハイリターンを2,3度成功させるほうがより高い成果を上げますし、マスもメディアも好むのは後者でしょうから、取り沙汰される事が多い

では、より優れているのは?

素晴らしい成果を上げるのに、後者の資質は欠かせないように思えますが、忘れてはならないのは、わずかばかりの勝算しか持たずとも、ほとんど勇気だけで行動を起こせてしまう点です

創作でも美徳として語られますが、先ほど言ったように、動機のほとんどを勇気に依存した行動は無謀です。(成功者がみな一様に考えなしとは言いませんけれども)

成熟し行き詰まりすら感じる今の資本主義社会では、命を持ってして償うなんて言葉では済まされない、多大な負債を負うリスクが存在します

圧倒的な成功を手にした人々の足元には、おびただしい数の屍が、誰にも見向きもされることなく横たわっていることを、忘れてはいけないでしょう

リスクを取る人取らない人、どちらが優れてるとは言い難い。リスクを取る人ばかりではあっという間に自滅しますし、リスクを取らずにいる人ばかりでは、その場が脅威に脅かされた時に呆気なく全滅します

やる気が出ない、腰が重いと嘆く必要はありません。どんな事にだってリスクは付きもの、それを排除できる勝算を一つ一つ探していきましょう。石橋を叩いて渡れば間違いなく落ちることはありません

考えなしと自分を責めて縮こまる必要はないでしょう。試行回数を積む事で知恵が身につくもの、再起不能に陥ってさえいなければ、いずれは勝算によって動けるようになっていくはず

勇気を持てと言われることが多い現代社会、確かにみんなおっかなびっくり生きている印象があります。けど、それは勇気を出せなくなったわけではなく、行動には強い責任感が伴うようになり、リスクが増大したため、勇気だけでは原動力として圧倒的に足らなくなったからであると考えます

そんな状況で、勇気を振り絞り続けるのは意味がないでしょう。勇気だけで補えば、それは無謀に成り果てる

賢くなったぶん、みんな慎重に生きているのです。終わらない答え合わせを繰り返してみんなが必死に生きてる

じっくり取り組みましょう。もうじき人生100年時代、先は長いのですから

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