できる人は何故できない人を嗤うのだろう


今日は眉間に皺が寄ったまま元に戻らないのじゃ。
仕事が終わった今でも寄ったままなのじゃ。
このままでは睨み皺が眉に残ってしまうのじゃ。


新しい仕事が始まって、ずっと勉強の毎日じゃ。
まだまだ新人だから知らないことばかり。
合理的且つ効率的なルールじゃないのが辛いのじゃ。
効率重視のルール、「そうなった理由が合理的に理解できる」ルールなら問題ないのじゃが、お客様の気分で決まったルールを覚えるのは本当に大変なのじゃ。
根本的な理解ができないから、応用が効かない。

「こっちはこうで、こういう意図があると判断できるから、その意図に沿ってこれもこう……じゃないのね……」

表面的な「こう決まっている」を覚える…の繰り返しなのじゃ。

それを覚えるのは本当に辛い。
量重視の覚えゲーじゃし、次の仕事には全く活かせないしのう。


じゃが一番辛いのは、
ルールを確認したり、
やり方が合っているかどうかを確認したりする時に、
周りの者から嗤われることじゃ。





は?


何故笑うんだ?

間違えたまま進めてほしいのか?

分からないことはそんなに可笑しいか?

間違える前の確認は間違っているのか?

真剣に覚えようとしている俺を嗤えるほど、お前らは偉いのか?




いかんいかん、我の下についてくれている人達もおるのじゃ。
怖い顔してるとその方々が我に質問し辛くなってしまうのう。
自分の機嫌は自分でとらんとな!

スマイルスマイル!(*╹◡╹*)



----------------------



自分よりできない人を馬鹿にして嘲ることほど気持ちの良いことはないのは、我もよく知っておる。
天にも昇る気持ち良さじゃ。

自己肯定感が満たされて、全能感に溢れる。
悪口を言うのと同じくらい、いやそれ以上に気持ち良いものじゃ。

じゃが、嗤われた方の辛さはものすごい。
自分で怒りとストレスを抑えるのが本当に難しい。
今日はなんとか耐えて笑顔を保てたが、顔に怒りが溢れてしまっていたかもしれん。


我はみんなのゴミ箱じゃ。
ストレス、自己肯定感、優越感の捌け口じゃ。



----------------------



一ヶ月じゃ。


一ヶ月で全員ぶち抜いて顎で使ってやるのじゃ。

その時は我がお前らを嗤ってやる……なんてことは無いから安心せい。

我は優しいから、お前らまで愛してあげるのじゃ。

なんとも歪んだ愛情じゃあ。

今日も今日とて愚痴じゃったのじゃ。


明日も頑張るぞい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?