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自分の「当たり前」とあなたの「当たり前」

ラグビー選手としての生活が、
僕にとって「当たり前」だった日々。
毎日、朝早く起きてトレーニングに励み、
チームと一緒に練習し、週末には試合に臨む。
試合でパフォーマンスを発揮し、
勝った時の達成感や、
負けたときの悔しさを分かち合うこと。
それらすべてが、
当たり前のように繰り返される日常でした。

でも、今はその「当たり前」がなくなり、
2年間、試合に出場できていない状況です。

「当たり前」が突然消えるとき


怪我をして初めて普段何気なくできていたことが、
どれだけ特別なことだったのかを痛感しました。
いつも通りやっていた練習。
いつも通りやっていた食事。
いつも通りやっていた仕事
当時の私にとって「当たり前」のことでしたが、
今では夢のように遠く感じます。

回復に向けたリハビリの日々は、
体だけでなく心も試される時間です。
毎日自分と向き合い、
少しでも前進しようと努力する。
しかし、以前のように自由にプレーできない
もどかしさを感じるたびに、
「当たり前」の価値を改めて見つめ直すことになります。

そんな中でふと気づいたのは、
自分の「当たり前」がいかに一時的なものだったかということです。
健康であること、自由に体を動かせること、
そして試合に出られること。
それは決して永久に続く保証はなく、
簡単に失われるものです。

他の人の「当たり前」との違い


怪我をしてから、多くのファンの方々から
「早く復帰して、また試合でプレーする姿を見たいです」と連絡があります。
そのたびに自分にとっての「当たり前」が、
他者にとっても特別なものだったことに、
気づかされました。
観客として見ていた人たちにとって、
選手が全力で戦う姿が「当たり前」の光景だったかもしれません。
でも、今の私にはその「当たり前」を届けられない状況です。

一方で、今の生活を「普通」に見てくれる人もいます。「選手が怪我をするのは仕方ないことだよね」と言われるとそういう捉え方もあるのかと感じます。

自分の「当たり前」が消え、
今はただ「復帰するために努力すること」が、
新しい「当たり前」になっています。

自分の「当たり前」を見つめ直す


怪我をしてから、「当たり前」を疑うことの大切さを強く感じています。
ラグビーができる生活が当たり前だった頃は、
それを失う可能性なんて考えたこともありませんでした。
怪我によってその当たり前が崩れ、
何が自分にとって本当に大事なのかを考えさせられています。

リハビリを通じてわかったのは、
ただラグビーをすることではなく、
「ラグビーを通じてどんな自分でありたいのか」を見つめ直すことの重要性です。
もしかしたら、今の自分にとっての「当たり前」は、試合に出ることではなく、復帰を目指して努力する姿勢そのものかもしれません。
そして、その過程で学んだことが、
将来新しい「当たり前」を築いてくれると信じています。

他者の「当たり前」を尊重する


怪我でプレーできない時間が増えるにつれて、
他の選手やファン、支えてくれる家族やスタッフの「当たり前」にも目を向けるようになりました。
彼らのサポートや励ましが、今の私にとって何よりも原動力になっています。
いつもご声援ありがとうございます。

最後に


「自分の当たり前とあなたの当たり前」
それは、環境や状況によって、
簡単に変わってしまうものです。

そしてそれを認めることが、
成長の第一歩だと感じています。

私が今、プレーできないことに対して
悔しい思いをしているのは事実です。
その時間を通じて見えてきた新しい
「当たり前」もあります。
だからこそ、復帰するその日まで、
今の「当たり前」を大切にしながら、
一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。

皆さんにまた「当たり前」のように試合で戦う姿をお見せできる日を楽しみにしています。
そして、そのときには、私にとっても、
あなたにとっても新しい「当たり前」が、
できているかもしれませんね。

では、ばいちょる〜〜👋👋

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