
相手の感情を読むことが苦手な人は情緒的コミュニケーションをパターンで対応するという話
相手の感情を読むのが得意な人と苦手な人がいる。
相手の感情を読むのが得意な人は、相手がこうしたら喜ぶだろうな、こうしたら嫌がるだろうなということを感覚的に掴むことができるので、人とのコミュニケーションや関係構築に優れていることが多い。これは当たり前のことなので特に疑問はない。
一方で、相手の感情を読むのが苦手にも関わらず、コミュニケーションや関係構築に優れているというケースを社会に出てからいくつも観測した。こういう人たちは、さも相手の感情の動きを丁寧に掴んでいるかのように相手の喜ぶツボを押し、嫌がるツボを避けたコミュニケーションをする。
しかしその人たちと話してみると、コミュニケーションしている相手がどういう感情を持っているかを実は掴めていない。より正確に言えば、相手の感情の動き自体を「頭で理解」はしているが、「感覚としては全然わからない」という主旨の答えが返ってくる。
これはどういうことかというと、「相手の感情を読むのが苦手だが情緒的コミュニケーションができる」人たちは、相手の言動をパターン認識しているということだ。つまり、あるパターンの時はこういう反応をすれば相手が喜び、反対にこういう反応をすると相手が怒り出したりするので避けた方が良い、という形で情報処理を行っているのである。
例えば目上の人が自分の過去の経験を話したり、知識を披露したりした時には、「なるほど~それはすごいご経験ですね~」「さすが、初めて知りました」「面白いお話ですね」といった一言をまず言ってみる。なんだそのくだらない話、と思ってもまずは言ってみる。一言いうことを絶対のマイルールとして、毎度機械的にパターン対応するというのがポイントである。
自分で試行錯誤しながら、また周囲のコミュニケーションからパターンを学びながら、このコミュニケーションの対応パターンを増やしていく。一定程度パターンが蓄積されると、自然な情緒的コミュニケーションが取れているかの如く見えるようになってくる。
もちろん、いくら表層的なパターン対応を蓄積していっても、相手の感情を深く読み取ることができているわけではなく、本質的には情緒的コミュニケーションができているわけではないと言えるかもしれない。しかしこう考えてしまうことこそが「相手の感情を読むのが苦手」なタイプがハマる落とし穴であって、ほとんどの情緒的コミュニケーションには表層も本質もなく、当たり障りのない、一定の範疇に収まった反応をしていれば多くの人は細かなことは気にせず、安心するのである。
ほとんどのケースで求められているのはまさしく「パターン」であり、「本当に相手の心に寄り添ったコミュニケーション」が求められるケースは極めて稀だ。少なくとも、「相手の感情を読むのが苦手」なタイプの人がその極めて稀なケースに対応する役割を引き受ける必要はなく、それは得意な人に任せておきましょうという割り切りをしておけばよいのだ。
パターン認識/パターン対応は決して「劣った」コミュニケーション方法ではなく、まさに相手に求められているコミュニケーション方法とも考えられる。私自身も相手の感情を読むのが苦手だが、そのことを過度に意識せずにパターン対応へとシフトしてからはずいぶん気が楽になり、コミュニケーションも円滑になった(と思う)。苦手意識のある方にはぜひオススメしたい。